はりこのトラの穴 ちょっとひとこと感想文

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はりこのトラの穴

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コメント
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No.11993 アサダヒロシ(作者)さん 返信 2024年08月19日(月) 11時39分
二人芝居「地球でクラムボンが二度ひかったよ」については、これまで十数年ずっと考え続けてきました。松霧布衣着さんにご批判いただいたところを参考に、自身でも納得できないところをどうしてゆくか、推敲を重ねてきましたがどうしてもうまくいかなくて、脚本を非公開にしていた時期もあります。こうなったら改作しかないということで、どうしても矛盾してくる箇所を削って(改作版)にして公開したりもしました。改作版は賢治ほか賢治ファミリー数人プラスアインシュタインが登場する劇で、それなりに完結していて、一度上演されています。そんなままで放置してきたのですが、今年になってあるきっかけがあり、二人芝居をこのまま放棄するのか、それとももう一度推敲に挑戦するかといった選択を迫られました。悩みましたが、最初の思いつき、賢治が地球からとどいた原爆の閃光を今日目にするという最初のイメージを捨てるのがおしくて、もう一度挑戦してみることにしました。最終稿を書くのなら今しかないという思いもありました。その結果がいま公開している二人芝居「地球でクラムボンが二度ひかったよ」です。大々的に手を入れて、なかなか超えられなかった矛盾をどうにかクリアできたのではないかと考えています。賢治の銀河鉄道の幻想はそんなに気にならないという方ならば、許容していただける程度にはなったのではないかと考えています。ということで、また公開に踏み切りました。よろしければ、一度覗いてみてください。削除
No.9025 浅田洋(作者)さん 返信 2008年05月26日(月) 09時17分
追伸
ご指摘いただいたまちがいを訂正しました。
クラムボンについては、もともとが幻想的な表現でもあり、そんなに論理をクリアーにすることはできませんでしたが、少し表現に手を加えてみました。
また、この劇で扱っている歴史的な背景については、いろんな解釈があることを、それだから興味深いということでご寛容ください。
それらの問題を含めて、この劇がどれだけの可能性をもっているかといった視点でお読みいただければ幸いです。削除
No.9021 浅田洋(作者)さん 2008年05月24日(土) 23時50分
丁寧にお読みいただいたようでありがとうございます。
いくつかのミスのご指摘、恥ずかしいことです。さっそく訂正させていただきます。
さて、クラムボンのことについての私の考えを述べさせていただきます。
「宮沢賢治/やまなし」というホームページにもありますが、クラムボンについては諸説があります。その中の一説、「蟹の英語、crab」から、crab(蟹)+bomb(泡)として、蟹の吐く泡というのではないかと私は考えています。その泡が上っていく様をカプカプと表現し、またはぜるのを「クラムボンは死んだ」と言ったのでしょうか。
では、脚本の中ではどうなのか。クラムボンを眩む+bomb(爆弾)と解釈した上で、よだかに「原爆で亡くなられた人(中略)、その人をホモ・クラムボンと言ってもいいくらいのものなのです。」というセリフがあります。でないと、「クラムボンが死んだ」とはならないですから。そこに少々のムリがあるのは承知しているのですが、それが許容できる範囲を超えていると言われればしかたないことだと思います。ただ、やまなしのあの光景は、私には原爆を連想させるものであったことは確かなのです。
歴史の解釈については、いささか考えが違うところもありますが、それは仕方ないことかと思います。
核の冬についてもいろんな考え方ができると思います。ただ、火山の誘発が一種のテロと言われればそうかもしれません。非核化を主張するテロは許されないのでしょうか。
厳しい指摘もあり、肝を冷やしましたが、またそこまで読み込んでいただいたことに感謝しております。
原作者としても、さらに考え続けていきたいと思います。
ありがとうございました。
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No.9020 今後に期待 松霧布衣着さん 返信 2008年05月24日(土) 20時51分
う〜ん、引用がたいしてパロディになっていないために、なんだか延々とうんちくを聞かされているみたいで物凄く疲れました。
クラムボンが眩むBOMBなのは、理論がしっかりしていれば許せるのですが、クラムボン=原爆ならばなぜ『クラムボンは死んだ』のか。なぜクラムボンがかぷかぷ笑ったのが広島の日常なのか。なぜエノラ・ゲイが飛来してクラムボンは死んだのか。それと、よだかのセリフ『クラムボンは蟹のようですが』って、蟹は話している兄弟であって、クラムボンが何であるかは不明なはずです。つまりこれはよだかが、クラムボン=蟹説支持者であったが、原爆の光を見て、急に原爆論者に変わったと解釈してよろしいのでしょうか?
『永訣の朝か、きょうは……』というセリフもなんか違和感がある。詩のタイトルを言いたかっただけ?加えて、『あめゆじゅ』は『雪』ではなく雨雪=みぞれ。『さっぱりとした雪』になるのは詩の後半。
凡ミスで言えば、本文では55光年ですが、はりこに書かれている説明では63光年となっています。関連して、地球から55光年(63光年)離れているから55年前(63年前)の光景を見ているのに、広島の竃猫がやって来たり電報が届くのは違和感がある。
歴史的解釈も甘いですね。ドイツはアメリカと戦争したわけではなく、連合国と戦争したのでは?天皇が優柔不断だとする説も、一面的で誤解を招くと思います。一億玉砕を掲げる軍部を押し切って、玉音放送を流したのは陛下の英断だと私は思うのですが、その点については如何でしょう?それに、あの書き方では、原爆は落とした方が悪いのではなく、落とされるようなことをした天皇が悪いという風に感じます。果たしてそうでしょうか?もちろん中国などでの虐殺説や、満州事変に関して言えば、当然日本が非難されて然るべきと考えていますが『原爆が落とされた事』について、天皇だけが、あるいは日本だけが悪いのでしょうか?だとすればなぜアインシュタインは湯川に謝ったのでしょうか?
あと、『汚名挽回』って、物書きとしてやってはいけないミスですね。あと、『HIROSIMAへの投下』って、合ってるんですか?詳しくないけどHIROSHIMAじゃないですか?
噴煙は水蒸気を想定しているのでしょうか?硫黄系のガスは出ないのでしょうか?出たらどっち道結構危ない気がするのですが。また、火山の爆発を人間は核の恐怖に結びつけるのでしょうか?つまり、例えばキラウェア火山が噴火してハワイの空が火山灰に覆われた時、ハワイの人は『ああ、やっぱり原爆はいけないな!』って思うってことでしょうか?加えて、核の恐怖を知らしめるために火山を噴火させるというのは、一種のテロではありませんか?

いろいろ言いましたが、私は宮澤賢治が大好きですし、戦争の話は慎重に扱うべきと考えていますので我慢してください。参考程度にしてくださったらそれで良いです。削除

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