短篇戯曲「人の目、鳥の目、宇宙の目」
原爆三景
短篇戯曲「人の目、鳥の目、宇宙の目」
          −原爆三景−
               2009.7.29

【まえがき】
原爆が落とされてから今年(2009)で64年目の夏を迎えます。
原爆の実態がどのようなものであったのかは、戦後生まれの私にはどうしても分からないところがあります。だから、被爆者を中心にすえた劇はしょせんムリなのです。
しかし、原爆の経験が、いまにいたって、われわれの中にどのような痕跡を残しているかは探ってみることができます。それは想像力の問題であるからです。
想像力にかかわるということは、それは、十分に演劇のテーマにもなりうるはずのものだということです。もっとも、そのためにはリアリズムとはちがった何らかの仕掛けが必要です。でないと、現代の問題としての原爆を浮かび上がらせることなどとうていできないからです。どのような仕掛けを構想するかということは、演劇の技術的な問題でもあります。
この脚本は、そういった意味で、一つのささやかな試みです。
原爆を人の目はどのようにとらえたのか。それは原民喜の「原爆被災時のノート」や詩でうかがうことができます。
鳥の目はどうとらえたのか。よだかは原爆をどう見たのか? よだかにくわえられたカブトムシはどうみたのか。
また、銀河鉄道の駅から原爆の閃光を目にした宮沢賢治は、原爆をどうみたのか。
そんなふうな仕掛けを設定して、原爆をテーマにした短篇の脚本に挑戦してみました。
上演時間は30分ぐらいではないかと思われます。
お読みいただいて、楽しんでいただければ、これにすぐる喜びはありません。

【では、はじまり、はじまり】

【一場】
 (登場人物 原民喜 戦争中の粗末な身なり)
 (映像 被爆後の焼け野原、その上に、朗読される作品の字幕が重なる)
 (スポットライトの中に原民喜が登場、ぼろぼろの国民服、被災したままのかっこうで)
原民喜 (礼をしてから、おもむろにテキストを取りだして読み始める)「一場、人間の目……、私、原民喜が8月6日から、心覚えのためにメモをした「原爆被災時のノート」からの引用です。

八月六日八時半頃
(原爆の閃光が走り、爆発音が響きわたる)
突如 空襲 一瞬ニシテ 全市街崩壊
便所ニ居テ頭上ニサクレツスル音アリテ 頭ヲ打ツ
次ノ瞬間暗黒騒音 薄明リノ中ニ見レバ既ニ家ハ壊レ 品物ハ飛散ル 異臭鼻ヲツキ眼ノホトリヨリ出血 
恭子ノ姿ヲ認ム マルハダカナレバ服ヲ探ス 上着ハアレドズボンナシ
達野顔面ヲ血マミレニシテ来ル 江崎負傷ヲ訴フ
座敷ノ椽側ニテ持逃ノカバンヲ拾フ
倒レタ楓ノトコロヨリ家屋ヲ 踏越エテ泉邸ノ方ヘ向ヒ 栄橋ノタモトニ出ズ
道中既ニ火ヲ発セル家々アリ 泉邸ノ竹藪ハ倒レタリ ソノ中ヲ進ミ川上ノ堤ニ至ル学徒ノ群十数名ト逢フ ココニテ兄ノ姿ヲ認ム
向岸ノ火ハ熾ンナリ
雷雨アリ川ヲミテハキ気ヲ催ス 人川ハ満潮 玉葱ノ函浮ビ来ル
竜巻オコリ 泉邸ノ樹木空ニ舞ヒ上ル
カンサイキ来ルノ虚報アリ
向岸ノ火モ静マリ向岸ニ移ラントスルニ河岸ニハ爆風ニテ重傷セル人 河ニ浸リテ死セル人 惨タル風景ナリ

あの光景は、今でも目に焼き付いています。逃れられないのです。
「河岸には爆風をあびて重症の人、河に浸るようにして死んでしまった人などが見られて、悲惨な風景であった」と、「被災時のノート」には書いていますが、ほんとうのところはこんなものではありませんでした。とても書き表せるものではありません。
せめてその百分の一なりと知っていただくために、同じく被災時に作った詩を二つ読みます。
最初は、『原爆小景』より『水ヲクダサイ』。

 水ヲ下サイ

水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ
死ンダハウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
 オーオーオーオー
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