一人芝居「水仙の咲かない水仙月の四日」
三年寝太郎は核戦争を生き延びるか?
一人芝居「水仙の咲かない水仙月の四日」
      −三年寝太郎は核戦争を生き延びるか?−

【あらすじ】
地球で核戦争が勃発して、人類が絶滅の危機に瀕している。寝太郎たち、宮沢賢治先生の学校の生徒四人は、そのとき銀河鉄道二泊三日の修学旅行に出かけていて、難をまぬかれる。地球は核の冬に襲われ、黒い雪が降る。雪をつかさどる雪婆んごが、雪狼(おいの)や寝太郎に語りかけるかたちで一人芝居が進んでいく。寝太郎は、友だちが死んでしまった後、自分たちの小屋を捨てて、嫁ぃさがしの旅にでる。狼森(おいのもり)にさしかかったとき、雪婆んごが吹雪を起こして、寝太郎に襲いかかる。寝太郎は、動くこともできず、吹雪の中で眠ってしまうが……。
さて、それからどうなるか?そこは見てのお楽しみ。
では、とざーい、とざーい、一人芝居「水仙の咲かない水仙月の四日」のはじまりー、まじまりー

【登場人物】 雪婆んご
(物語は、唯一の登場人物である雪婆んごが、手下の雪狼(ゆきおいの)、あるいは寝太郎に話しかけるというかたちで進んでいく。)

【おねがい】 宮沢賢治にならって、狼は「おいの」と読んでください。
(だから、雪狼は「ゆきおいの」、狼森は「おいのもり」となります。)

幕があがる

(舞台背景に核戦争後の荒涼たる遠景が映し出されている。空は暗雲に覆われ、薄暗い舞台に電信柱の列が見える。)

雪婆んご 「ああ、久しぶりだよ、まる一月ぶりかね、この地方に帰ってくるのは。狼森でこうしてお前たち雪狼に迎えてもらうと、やっぱり生まれ故郷はいいやね。この象のような丘からの見晴らしが何より……と、おやおや、学校の裏山からこの丘を一人でのぼって来るのは寝太郎じゃないのかね。瓦礫だらけの校庭に建てたダンボールの小屋を捨てて出てきたんだよ。あんな小屋だから、未練はないだろうけど……赤い毛布(ケット)を羽織って……あの毛布どうして手に入れたのかね。体裁なんて言ってる場合じゃないけど、ひどいかっこうだね。自分の世界にはまってて……何かぶつぶつ言ってるよ。耳のいいお前たちには聞こえているだろう。どれ、何、何ぃー、「寝太郎ぁ、嫁ぃほしい、ほしい。」って、何だね、そりゃあ……、あの子は自分のことを寝太郎という癖があってね、それはいいとしてさ、「嫁ぃほしい」というのは、どういうことなんだろうね。あまりのショックで気がおかしくなっちまったのかね。おや、立ち止まって、空を見上げてるよ。お天気でもうかがっているのかしら。わたしの方を見ているよ、わたしもお前たちも人間には見えはしないはずだけど、あの子には気配を感じる能力でもあるのかしら……。でも、今日出発するっていうのはどうかね。わたしが帰ってきたからにはただではすまないよ。そら、雪がちらちらしてきた。(灰色の紙吹雪がちらほらと降ってくる。)風花だよ。雪のにおいは……やっぱりしないね。灰色にくすんだ空から黒い風花だもの……。でも、きょうは水仙月の四日、幸先よしとはいかないか、なにしろ、わたしが帰ってきたんだから、風花だけじゃあすまないよ。わたしは雪婆んご。女だからってなめるんじゃあないよ。わたしの恐ろしさをいちばんよく知っているのはお前たち、雪狼(おいの)かね。……(観客に向かって)雪婆んごといってもいまどきのみなさんには分からないだろうけど、まあ雪女といったところかね。それを雪婆さんと書いて雪婆んごと読ませてるわけ。でもさ、この婆さんの字、これはいただけないよ。まだ、そんな歳でもないのに……、他の地方じゃ雪女というところもあるんだから、せめて雪年増ぐらいにしておいてくれたらいいじゃないか。そりゃあ、髪はぼやぼやした灰色で、それでふけて見られるんだけど、まだまだ若いんだよ、まあ人間でいやあ四十といったところかね。わたしが化粧しているのを年齢に疎いものがみたら充分その歳に見えるはずだよ。「水仙月の四日」を書いた宮沢賢治はね、わたしのことを「猫のやうな耳をもち、ぼやぼやした灰いろの髪をした雪婆んご」というふうに描写しているんだけどさ、わたしの耳がほんとうに「猫のやうな耳」なのか、「ぼやぼやした灰いろの髪」なのか、わたしには分からないのさ。第一鏡を見たことがないんだよ。自然界に鏡なんかないしさ、そのかわりに池の水面があるってもんだけど……、ところがそうもいかないのさ。わたしがのぞき込むと、どこの池の水も、
あわてて白く凍り付いて顔を映せなくしてしまうんだよ。まったく、いけすかないやつらだよ。これは駄洒落、雪婆んごだけにさむーい駄洒落、まあ、かんべんしておくれ。
 で、そんな雪婆んごのわたしは、ここ何日も遠くに出かけてたってわけさ。つまりその間、雪は降らなかったってことだわね。お前たちにもさびしい思いをさせたね。それとも羽根を伸ばせたってところかしら……。この地方に帰ってくるのも久しぶりなんだよ。ここんところ忙しくってね、人間さまもバカなことをしたもんだよ。核戦争で、世界を崩壊させてしまったんだから……。そりゃあそうさ、何千発という原爆やら水爆やらが一度に爆発したんだもの……、人間の大半がそのときに死んで、あとにのこったものもこの二月でほとんどが死にかけてるよ。核爆発で舞いあがった死の灰やら埃やらで覆われて、世界中の空がどんよりと曇ったようで、日差しが弱いぶん、核の冬とかいうとんでもない冬になってしまった。それで、あちこちで雪を降らさなきゃいけなくておおいそがしでさ、それも黒い雪だよ。悲しくなっちゃうよ。雪というのはほんらい白いものときまっているじゃないか。それが黒い雪だよ。死の灰やらほこりやらをまといつかせて降ってくるから黒いんだって、……。例の黒い雨の雪バージョンというやつさ。わたしゃ、大嫌いだけどね、衣装が汚れるし、肌も荒れる。お前たちもそうだろう。ここんとこ毛並みが悪くなってしまった。といって、冬だもの、黒い雪でも降らさないわけにはいかないだろう。降らせて降らせて、降らせ尽くして、きれいになるのを待つしかないのさ。建物という建物、ビルディングというビルディングは崩れ落ち、灰色の焼け野原に電柱だけが点々と残っていてさ、その風景の上に黒い雪を降らし、焼けただれた林を黒い雪で覆い、粉砕された産業廃棄物のようなゴミが浮かぶ海に黒い雪を溶け込ませる、むなしい仕事さ。でも雪婆んごとしてはやるっきゃない。そんなことで一月ばかりあっちこっちかけずり回っていたんだよ。
ここんとこどこへいっても人間の姿を見かけることはほとんどなくなってきたよ。さびしいもんだねー。
せっかく雪を降らしても「雪やこんこ」とか、「堅雪かんこ、凍み雪しんこ」とかやってくれないとなんかむなしくてさ、さびしいもんさ。それでね、賢治先生の学校の生徒さんたちがどうしているかとふと気になってね、帰ってきたんだよ。でかける前にここらあたりで、ふつうに生きているのを見かけていたからね。寝太郎たちだよ。地球にいるすべてのものが被爆を免れるはずはないのに、ぴんぴんしているのさ。はじめて見たときはふしぎな気がしたんだけどさ、真相が分かると、何ということもないんだよ。……ちょうど核戦争が勃発したとき、修学旅行に行ってたというんだよ。寝太郎たち、賢治先生の学校の生徒たちが、銀河鉄道の修学旅行に行ってたんだね。そんなことが信じられる?でも、事実だからしようがないやね。何だね、そんなことができるのは、やっぱり寝太郎たちなればこそなんだね。修学旅行は、「白鳥座から蠍座まで天の川の旅」という二泊三日のものだったらしいけど、なにしろ遠いだろう、行き帰り、ずーと寝てたらしいんだけどさ、地球に帰ってきたら、三日のはずが三年たっていて、その間に核戦争が勃発してほとんどの大都市は壊滅してたんだよ。寝太郎たちは、必死で捜したんだけど、家族も見つからない、知った顔さえ一人としていなかったらしいよ。彼らの仲間四人はしかたなく、学校跡地に柱を打ち込んで、ブルーシートとダンボールで粗末な小屋を作ってさ、住み始めたってわけ。まあ、そこまでは上出来ですよ。
でも、なにしろ寝太郎は、小さい頃には寝てばかりで三年寝太郎とよばれていたでしょうが、修学旅行に行って、三日のはずが三年寝てたんだから、合計すると六年寝太郎だわね。いま、寝太郎の歳が十六だから、差し引きすると十歳ということになるね。まあ、そんな幼さということかね。それが、ホームレスまがいのさ、貧弱だけど、自分たちで小屋をつくったんだから、褒めてあげなくちゃね。それでも何の罪もない寝太郎たちが、何でこんな目に遭うのかね、めちゃくちゃだよ。何が起こったか分からないまま、破壊され尽くした中に放り出されたんだからね。お前たちとおんなじだよ。
寝太郎たちが、銀河の旅から帰り着いた学校のあたりも、焼けただれた電信柱が残っていただけだったろう。電信柱は残っていたから、もともとが野犬のお前たちがオシッコをかけるのに不自由はなかったろうけどさ、あのあたりはあんたたちの縄張りで、よく徘徊していたから、学校が瓦礫の山になってたのは知ってただろう。賢治先生の銀河鉄道の地球ステーションだった理科室は崩れ落ちて見る影もなかったよね。だから、寝太郎たちが銀河鉄道から瓦礫の山に降り立ったとき、そこがどこか分からなくてもむりはないやね。お前たちみたいに、オシッコの目印を嗅ぎまわるわけにはいかないんだから……。冗談だよ。三年もたったら臭いなんぞは消えてしまうわね。そんな中に、賢治先生は、寝太郎たちを放り出して、折り返し銀河鉄道で出発してしまったらしいよ。いくら車掌さんの仕事が大事だからといっても、可哀想じゃないか。賢治先生には、すぐに何が起こったか飲み込めたはずだからね。ちょっとは説明してやりゃあいいのにさ。そりゃあ、ショックで言葉もでないよ。それは分かるけどね……。それとも何かね、核戦争にあきれかえって、人間に愛想尽かしをしたのかね。だから、生徒たちだけをおっぽりだして行ってしまったんだろうかね……。寝太郎たちも、ショックだったんだろうね、しばらくは口をきけなくなったらしいよ。誰だっておどろくわよね。突然、破壊しつくされた街に放り出されて、おまけに知った人はいない、寝太郎じゃなくて浦島太郎だもの。賢治先生の学校にもときどきいたらしいよ。口をきかない生徒。寝太郎たちも一時的にそうなってしまった。もちろんしばらくたつうちにぽつぽつとことばはもどってきたらしいけどね。それでも、ふしぎなことに、寝太郎たちは銀河鉄道のことは決してしゃべらなかったらしいね。修学旅行で何を見てきたのか、どんなことがあったのか、そのことに関してはいつまでも口を閉ざして語ろうとはしなかったってね。賢治先生に口止めされていたのかしら……。だって、わたしの見るところ、星に行くのは、常識的に言えば、死んでからだろう、それを生きているときに行っちゃったんだから……。何だか気味がわるいものね。賢治先生から口止めされているのかもしれないわね。それでさ、死んでお星さまになるような旅をして、その旅から帰ってくると、またまた死ぬか生きるかというひどい境遇に追い込まれてしまったんだよ。かわいそうを通り越しているよ。こわーいジェットコースターがやっと終わったと思ったら駅の柵を破って違う世界に飛び出しちゃったみたいな……、訳が分からないし、混乱して神経がまいっちゃうだろうね、きっと……。無表情になってもむりはないよ。あれだけよく笑っていた笑いを忘れてしまったようなのさ。それでも、野宿は最初の二、三日だけで、どこからかダンボールやブルーシートを捜してきて、小屋掛けを始めたんだよ。お前たちは、自分の縄張りに無断で小屋掛けされたっていきまいていたけれど、しかたないやね。ちょっとした吹雪にも舞い上がってしまうようなちゃちな小屋だったけどね。それでも、夜になると、お前たち雪狼の遠吠えが聞こえてさぞかし心細かったろうね。
寝太郎たちが校庭の瓦礫の中にダンボールの小屋掛けをして住みはじめたとき、ちょっとブルーシートをめくれば、小屋から寝ながらにして夜空は見えたにちがいないよ。てもさ、月でさえぼーと暈をかぶっているんだから、星なんかこんりんざい見えっこなかったさ。それでも銀河鉄道の修学旅行を思い出すことはあったのかね。昼は昼で、空はいつも灰色にどんよりと薄曇ったようで、薄汚れた雲が近づいてくると、いつも黒い雪が降ったんだよ。雪婆んごのわたしがしょうがなしに降らしていたんだから、まちがいはない。黒い雪だよ。もともと雪は白いもの。雪が降ると地上は浄められたように白く覆われるはずなんだけどね。それが、自然の癒しってものじゃないか、それがね、黒い雪がふると、地上は薄汚れた雪に覆われ、灰色の世界になってしまう。狼森のほんよこの、それ黒坂森の黒はいまや黒い雪の黒なんだよ。そして、すこし気温が上がると雪はたちまち溶け出して、黒い汁が流れ出す。お前たちも最初はいやがっていたね。黒い雪なぞ想像できなかった。それでも、地上がたちまち灰色に染め上げられていくのを何度も見ているうちに、だんだんなれてくるもんだね。お前たち雪狼も、保護色だか何だか、思いなしか毛色が灰色になってきたような……。
寝太郎たちは、放射能をあびて、原爆症にかかったのかね、日増しにものぐさになって
いくようだった。
あるとき、彼らの一人が饅頭を見つけてきた。防腐剤がいっぱい仕込まれたどこかのみやげものさ。そいつが瓦礫の中から見つかったらしいんだよ。寝太郎は、四つもらったうちの三つをその場でたいらげて、残った一つを寝ころんだまま弄んでいたのさ。そのうちに手元が狂って、饅頭をころがしてしまった。寝太郎はものぐさかったんだろうね。、ほんとうのところは分からないけれど、その饅頭を取りに立ち上がろうとはしなかったの……。誰かが寝太郎の小屋に戻ってくるか、それとも誰かが通りかかるのを待っていようというわけさ。と、いってもこの状況では、そんなことはあてにはならないことはわかっていたけどね……。寝太郎は饅頭にたかるはえやごきぶりなどをダスキンモップの柄でおっぱらいながら誰かをまっていた。一度、お前が臭いを嗅ぎながら饅頭に近寄ったとき、モップの柄でしたたかに打たれたといって、唸っていたじゃないか。もう忘れちゃったのかい?
寝太郎は、ほかの三人に養われていたようなものだね。おこぼれで生きていたっていうか……。その他の三人が、わたしがいない間に死んでしまったって……、おや、そうなのかい、それは残念だね。でもどうしてだろうね。どうして寝太郎だけが生き残ったのかね。寝太郎がいちばんものぐさだったことは確かだけれど……。そのものぐさが放射能の影響から来ているのか、元来のものぐさなのかは分からなかったさ。けど、とにかく、それで、寝太郎は、食べ物を捜したりして、外へ出かけることも少なくって、だから黒い雪をあびることもあまりなかった。なのに、最初に原爆症のものぐさになったっていうのはおかしいけどね。だから元来がものぐさって感じはするけど、分からないわね。それに、体力を温存したってこともあるかしら……。とにかく、寝太郎は最後まで生き延びることになったのね、寿命ってのはだれにも分からないのよ。お前たちもそうでしょう。飼い主とともに死んだり、生き延びてもまたすぐに死んだりね。こればっかりは分からないよ。それにね、生き延びたことが幸せかどうかも分からない。生き延びたために雪狼にされたりするからね。何が幸せで、何が幸せでないかが分からないのとおなじように、寿命ばかりはほんとうに分からない……。修学旅行から一緒だった他の三人はまさに『引き算』を地で行くようにつぎつぎになくなっていったのにね。
寝太郎の『引き算』というのは、こういうことなの。寝太郎ぼっちゃんが小さいころ、学校から帰ってくると母親が病気で寝ていたって想像して……。そのとき、母親が「寝太郎は、もし、お母さんが死んだらどうする?」と、聞いたのさ。寝太郎ぼっちゃんは、しばらく考えてから「お母さん、いま四だのす、そいで四引く一は三になるのす。」といったというの。「たしかに、死ぬということは引き算ですけれど、この子らは、死ぬということになんかこだわりがないというか、淡泊なような気がしますわ……。」って、賢治先生に洩らしたことがあったということよ。わたしは賢治先生から直接聞いたんだからほんとうの話だよ。何?それで分かりますってかい?いまもまた寝太郎は、母親の予想通り、仲間の死にたいしては狼のように立派に冷淡だったって……。へんな褒め方だねえ。一人、また一人と姿がみえなくなったときも寝太郎は、悲しんだりすることはなかったって言うのね。毎日縄張り点検でおしっこに回って見ていても、そんなものとして事態を受け入れているようにみえたって……。そうかい。でも、あの子たち、どうして、寝太郎の目の届く範囲に死体を曝すといったふうなことをしなかったのだろうね。わたしはそのことの方がふしぎな気がするよ。お前たち狼だったら分かるわよ。死が近づいたら森に入っていくんだろう。狼の死体なんて見たこともないもの……。どうして、あの子たちはどこかへいっちゃったのかね。あの子たちの場合、銀河鉄道の修学旅行と何か関係があるのかも知れないという気もするんだよ。あの旅行で寝太郎たちが何を見てきたか、話さないけど、でも、なぜか死ぬとなったらどこへいくか、そんなことで何か暗黙の了解があったような気がするのよ。これはわたしの勘だけどね……。
わたしがでかけてすぐに寝太郎の他の三人が見えなくなったんだから、それからもうかなりたっているわね。お前たちは、見張っていたから知っているだろう、寝太郎は一月くらい、のさばるようにじっと寝ていたんだね。何を考えていたのかね。それで、きょう、わたしが帰ってきた日に、偶然、寝太郎は、ダンボールの小屋から這い出して、出発することにしたらしいね。
そら、黒い雪がちらつくなかを、赤い毛布にくるまって、ふらふらと登ってくるよ。何か一生懸命つぶやいて……。聞こえないね、どれ、お迎えと行くかね。もう少し近づいてみるか……。
(耳をそばだてて)何々、「ひとりぼっちの小屋はいつまでもひとりぼっち……嫁ぃほしい、童(わらし)やどほしい、嫁ぃをさがしに行こう、嫁ぃはどこだ、嫁ぃほしい。」
なるほど、一人ではさみしいから、嫁さがしか。寝太郎の考えそうなことだ。あいかわらず幼いっていうか、短絡的というか……。おや、もう象の尻のあたりを越えたよ。注意しないと原爆の風倒木につまづいてしまうよ。道にいっぱいかぶさっているんだから……。
でもさ、寝太郎のやつ、意外と元気だね。象の尻から背中に沿ってどんどんのぼって来るよ。あそこからはもう四つの森が見えるはずだよ。一番近くの森がわたしのいまいる狼森、核爆発で住宅が破壊されたあと、たくさんの野犬がでてね、この森に住み着いていたんだ。その野犬の中で役立ちそうな狼犬を訓練して、わたしは手下にしたんだよ。それがいまのお前たち雪狼ども……。「おいの」って言うのは狼のことだけどね、日本にはいまどき狼なんていやしないわよ。核戦争のあと野犬化してうろうろしていた狼犬をわたしが雪狼に育てあげたんだよ。雪狼は、人の目には見えないよ。吹雪は雪狼のおおあばれ、雪狼の蹴立てる雪が猛吹雪、……そんな雪の象徴に育てあげたのさ。狼森には雪狼が隠れているよ。お前さんには見えないだろう、それは誰にも見えないんだけどさ……、雪狼が、いまわたしに纏いついているよ。赤い舌をベロベロ出して……じれているんだね。吹雪が待ち遠しいんだよ。でも、まだ雪はちらちらふっているだけ……。黒い雪が。でも、そう簡単に吹雪いてはいけないの……、雪婆んごのこけんにかかわるわ。お前たちに命じられてたまるもんですか。(と、ピシッと雪鞭をならす。)まだまだだよ。黙ってそこに控えておいで。
おっと、寝太郎は、丘の頂まで登ってきて、栗の木の下で立ち止まったよ。大きな栗の木だね。見上げていると首が痛くなるくらい。おや、あそこの枝の上にかなり萎れたヤドリギがまるく纏いついているよ。寝太郎はあれを見上げていたんだね。あのヤドリギ、核の被害を免れたんだね。ヤドリギは冬でも枯れないっていうけど、ほんとうだね。
「とっといで。」
どうだい、この雪狼、忠実だろう。わたしが命じると、そうら、ごむまりのようにいきなり木にはねあがって、その赤い実のついた小さな枝を、がちがちかじってるよ。あいつの牙にかかったら、枝なんてたわいもないね、ひきちぎられて……ほらここに落ちてきたよ。(と、足下から拾う。)
ありがとうよ。この赤い実をしがみたかったんだ。ちょっとすっぱくて、おいしいんだよ。
(雪婆んごは、宿り木の赤い実をしがみながら言いました。)
そら、寝太郎さん、お前にもやるよ。おや、びくっとして、驚いたのかね。そりゃあ、そうだね、不意にやどりぎの枝がとんできたんだからね。むりもないやね。さあ、それをもって行くんだよ。
おや、いつのまにやら雪狼たち、何匹にも増えてきた。気配を抑えて、わたしのまわりを回って、遠慮がちに催促しているのかい、分かったわよ。きょうは水仙の咲かない水仙月の四日だったね、さあ、雪狼ども、おまちどおさま、いいかい、寝太郎に狼森の洗礼を受けさせてやろうじゃないか。さあ、雪狼ども、風花じゃなくってさ、そろそろ雪を降らせようか。思いっきりあばれまわるんだよ。猛吹雪といこうじゃないか。さあ、雪狼ども、存分にはたらくんだよ。そら、ひゅー、ひゅー。(舞台背景に、灰色の雪に覆われた森が映し出される。灰色の紙吹雪が噴き出してくる。)
吹雪は、さあさあ激しさをましてきたわよー。そら、鞭をくれてやる、ひゅー、ぴちー、ひゅー、ぴちー、(と雪婆んごは、いったりきたりする。)もうどこが丘だか雪けむりだか空だかさえもわからないね。たちまち地上は灰色に染まってきたね。みるみる黒い雪が積もっていくよ。
吹雪の中で、聞こえるものはなーんもない。わたしがあちこち行ったり来たりして叫ぶ声、鞭の音、それだけさ。ところが、ふしぎなことに、そのなかから風の隙間を縫うようにとぎれとぎれに寝太郎の声が聞こえてきたんだよ。
「寝太郎の嫁ぃさなってくれ、嫁ぃさなってくれ。」ってね。
寝太郎の叫びは、吹雪に消されそうになりながら、わたしにはそう聞こえたんだよ。と、不意にわたしは、その声がわたしによびかけていたんだということに気がついたのさ。わたしに、嫁ぃさなってくれって……。雪婆んごとは言わないよ、知らないんだから。きっと吹雪の中に私の幻でも見えたんだろうね。わたしが見えていた、どうしてだろうね。雪婆んごも雪狼も人には見えないはずなのに……でも、寝太郎のことばはわたしめがけて飛んできたんだ。だからたしかに聞こえたんだよ。吹雪の中でも聞き分けられたんだ。でも、どうしてあんなことを思いついたんだろうね?あんなふうに叫んだのはどうしてだろう。何かね?わたしがヤドリギの下に立っていたからかもしれない……。クリスマスにヤドリギを飾って、その下に立っている女がいたら、キスしてもいいっていう風習がイギリスにはあるらしいからね……。寝太郎がそんなことを知っているとも思えないが……。(注1)
もしかしたら、(と、雪狼に聞こえないように声をひそめて)そのときわたしの瞳はちょっとあやしく燃えたかもしれないよ……。(と、皮肉っぽくわらいながら)もっとも、それを雪狼に気取られるほどわたしはうぶじゃないけどね。(不意にその思いを打ち払うように、いきなり鞭を烈しく打ちならして、寝太郎の周りを歩き回る。)ひゅう、ひゅう、まだ休憩の時間じゃないよ。なんだい、お前たち、わたしにまとわりついてきて、甘えるんじゃないよ。それとも寝太郎のことを考えているわたしに嫉妬してでもいるのかい。さあ、ひゅう、ひゅうひゅう、行くんだよ。くんずほぐれつ雪煙を舞い上げるんだ。そんなに妬ましいのなら寝太郎を包んでおしまい。ひゅうひゅう、さあ、雪を掻き立てるんだ、ひゅうひゅう、狼森をはしからはしまで駆け抜けといで。さあ、ひゅう、ひゅうひゅう。そんなふうに雪狼を叱咤激励しながら、わたしは、吹雪の喧噪の中で考えていたのさ。どうして、寝太郎はわたしにそんなことを言ったのかってね。寝太郎さんは、きっと吹雪の中で雪婆んごの幻をみたんだよ。わたしは、そう考えたのさ。わたしにはわかるんだ。お前さんはわたしの幻を見たんだ。それに、お前ほど年齢を読めない男にわたしは会ったことがないよ。おまけにわたしのぼやぼやした灰色の髪は、黒い雪のせいで黒く染まって、渦を巻いてナウいパーマのように見えたかもしれないね。皺の寄った白い肌は水仙の咲かない水仙月の四日ということで、たかぶってほのかに血の気を帯び、尖った耳も雪明かりに赤く透いて見えてたんだよ。ぎらぎら光る黄金の目は妖しくひかり、紫色の唇は宿り木の赤い実を噛んで赤く濡れていたのさ。だから、吹雪の中でわたしは厚化粧の大年増だったんだ。そんなわたしをお前さんが嫁ぃさなってくれって、みまちがえたのは、それはそれとして、分からなくはないのさ。でも、でも、恥を言うとね、正直な話、お前さんの呼びかけは、一瞬だけどね、こんなババアのわたしをゆさぶったんだよ。もう忘れかけていた切ない思いを思い出させたんだよ。
お前さんは、もう半分夢うつつだね。堅雪かんこ、凍み雪しんこ、根雪寝太郎、寝太郎ぁ、嫁ぃほしい、ほしい。とか、そんなことをつぶやいて、わたしの方に無意識に手を差し出して来たりして……。狂いはじめているのかい。しっかりおしよ。雪狼が嫉妬したようにそんなお前さんにぶつかっていくよ。あー、危ない。うまく体を避けたね。でもその拍子に足を踏ん張ったからだね、雪に足がめり込んで動けなくなったじゃないか。
お前さんには見えないだろうけど、三匹の雪狼がその足にかじりついているよ。金輪際はなさないってね。他の雪狼も寝太郎を中心に渦を巻いてかけずり回って……。そのうちに、一匹が烈しい勢いで後ろからぶつかってくるよ。ばかだね、吹雪でほとんど見えないといっても、狙いを誤ってるよ、そら、来たー、雪狼は空を切って、横の木に突っ込んでいっちゃったよ。おや、もう一匹が後ろから来たよ。そら突っ込んできた。あー、危ない、やられちゃったじゃないか。あー、もんどりうって雪の中に、うつ伏せに倒れ込んじゃったよ。
寝太郎ぁ、嫁ぃほしい、ほしい。ってね、お前さんはまだ、腕をわたしの幻に伸ばして、まだ、そんなことをつぶやいているのかい……、おや、そのうちにもがきながら、泣きはじめたね。(と、ふと背筋をぴんとのばして。)ひゅう、ひゅう、なまけちゃ承知しないよ。降らすんだよ。降らすんだよ。さあ、ひゅう。今日は水仙月の四日だよ。一人くらい連れてきてもいいんだよ。ひゅう、ひゅう、ひゅうひゅう。(雪婆んごの声が一変している。たちまち狂暴な表情で狂ったように、雪狼たちにむけて叫ぶ。そして、寝太郎には、雪狼たちに気取られないように、そっと呼びかける。)
寝太郎さん、寝太郎さん、まだ倒れたまま泣いているのかい。ほら、ほーら、私のふりみだした髪が、そら、あんたの顔に触れているのがわかるかい?お前は、もうわたしたちの囚われ人だよ。わたしの風に煽られ、雪狼の吹雪に巻かれて、もう足を雪から抜けなくなって、よろよろと倒れているんだよ。わかるかい。こらっ、そんなどす黒い雪まみれの手で、私の衣装に触るんじゃない。汚れちまうじゃないか。おや、腕を伸ばしたままで止まってしまったね。半分気を失ったようにうめいているよ。毛布をかぶって、うつ向けになっておいで。ひゅう。動いちゃいけない。じきやむから毛布をかぶって倒れておいで。(と、膝枕で寝かしつけている素振り。そして、きゅうに立ち上がる。)ひゅう、ひゅう、なまけちゃ承知しないよ。降らすんだよ。雪煙を巻き上げて駆け抜けるんだよ。さあ、ひゅう。今日は水仙月の四日だよ。もうすこしで五日だよ。一人くらい連れてきてもいいんだよ。ひゅう、ひゅう、ひゅうひゅう。(と、狂暴に叫んで、ふたたび気が抜けたように立ち尽くす。)わからない、自分でも分からなくなっちまった。寝太郎を助けたいのか、それとも連れていきたいのか。(ふたたび寝太郎の枕元に屈んで、耳元に口を寄せるようにして)倒れておいで、倒れておいで、ひゅう。だまってうつむけに倒れておいで。今日はそんなに寒くないんだから凍やしない。そうして眠っておいで。布団をたくさんかけてあげるから。そうすれば凍えないんだよ。あしたの朝まで、わたしが嫁ぃになってあげるから、結婚の夢を見ておいで。(言い終わると、すっくと立ち上がり、雪狼どもに気配を覚られやしなかったかと、ちょっと周りを見回しながら、ふたたび、髪を振り乱して雪狼どもに向かって叫び始める。)
さあ、しっかり、今日は夜の二時までやすみなしだよ。もう、ここらは水仙月の五日になろうとしてるんだから、やすんじゃいけない。さあ、吹雪を舞わしておくれ、象の丘に雪を走らせておくれ、ひゅう、ひゅうひゅう、ひゅひゅう。(と言いながら、手を伸ばして「えいっ」と跳び上がって、枝にぶら下がり、「えいやっ」と、その枝の上に立つ。)
どうだい、まだまだこんな芸当もできるんだよ。でも、ふー、こんな汚れた雪じゃあ、衣装も台無しだよ。(と、一方の手で幹をつかみ、もう片方の手で雪を払うしぐさ。)ここらあたり、栗の梢まで上がると、さすがに下の雪狼どもの騒ぎはちょっと遠のいて……。寝太郎が、あそこに倒れているよ。もう半分くらい雪に埋もれかけているね。動かないところをみると、眠りはじめたのかしら……。でも、まだときどき呻き声を上げているから、半分眠くらいかね。こうして、栗の木の梢に立って、あんたの声を聞いていると、わたしは複雑な思いだよ。こんなこころの動揺を雪狼どもに覚られちゃ、雪婆んごの面目まるつぶれだよ。そうじゃないか、寝太郎さん。なんだい、なさけない泣き声をたてるんじゃないよ。通算六年寝ていたといっても、高校生だろう、あんたは。そうして、毛布をかぶって、うつ向けになっておいで。動いちゃいけない。じきやむから毛布をかぶって倒れておいで。だまってうつむけに倒れておいで、今日はそんなに寒くないんだから凍えやしない。起きあがるんじゃない。たおれているんだよ。いいかい、寝太郎さん、風の音と聞き違えるんじゃないよ。わたしのささやきをきっとお聞き……。わたしはね、あんたが助かるかも知れないとおもっているんだよ。そのことにかけているんだよ。凍えて死んでしまうかもしれない。でも助かる可能性もある。たとえ、いいかげんな思いこみだとしても、わたしに「嫁ぃほしい、嫁ぃほしい。」と言ってくれたあんただから、かけてみたいんだよ。雪狼たち、いいかい、あすのあさ、わたしが去った後で、寝太郎を掘り出すんだよ。赤い毛布が見えるまで。それで、凍えて死んでいれば、人類最後の一人が死んだということさ。助かるのなら望みがあろうというものじゃないか。おや、やっとこさ静かになった。もう泣き叫ばなくなったね。そうして、眠っておいで。毛布をたくさんかけてあげるから。そうすれば凍えないんだよ。あしたの朝まで夢を見て……この象のような丘にのぼってきたときちらっとみただろう、あの四つの森の夢を見ておいで。さあ、雪狼ども、手抜きをするんじゃないよ。ここからならぜんぶお見通しなんだからね。ひゆう、もっとしっかりやっておくれ、雪狼ども、かけまわりなさい。なまけちゃいけない。さあ、ひゅう。寝太郎に遠慮することはない。手加減しちゃあかけにならない。水仙の咲かない水仙月の四日だもの、一人や二人とったっていいんだよ。そうそう、それでいいよ。さあ、吹雪よ、渦巻け、駆けぬけよ。もっと雪煙を蹴たてておくれ。なまけちゃ承知しないよ。今日は夜の二時までやすみなしだよ。もうすぐここらは水仙の咲かない水仙月の五日なんだから……、やすんじゃいけない。さあ、降らしておくれ。ひゅう、ひゅうひゅう。ひゅひゅう。

(背景は雪景色のまま、舞台は明るくなる。雪婆んごは、衣服を正してすっくと立ち、懐から朗読のテキストを取り出して、おもむろに読み始める。)

寝太郎をねむらせ
寝太郎の上に雪降り積む
寝太郎をねむらせ
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