あらすじ
私の家は、学校を経営しています。
一家の名字をとって、『大昇學苑』と名付けられたこの学び舎は、幼稚園から大學までの一貫した教育を売りにしています。
どうやら、世間はこの學苑を、『名門校』と呼んでいるみたいです。ちょっと気恥ずかしいような、でも誇らしいような、なんだか不思議な感覚です。
私は、この學苑で生まれ、この學苑とともに生きてきました。
ひいおばあさまが創立してから九十九年。今は、おかあさまが経営する學苑です。
ずっとずっとこの場所で、変わらない風景を見つめ、素敵な人たちと出会いました。
幼稚園では、今となっては親友の、サッカーが好きな衛という男の子に出会いました。
初等部では、六年生のとき、二代目學苑長のおばあさまが亡くなられ、おかあさまが三代目となりました。
中等部では生徒会に入り、王太先輩という生徒会長のもとで、學苑の基盤となり活動しました。
そして、三年生にあがると、王太先輩が高等部に行き、私は繰り上がりで会長となりました。
夏になると、衛は、サッカーの名門校から推薦が届いたと報告してきました。今までに見たことの無い、とびきりの笑顔でした。
私の周りは、常に移ろっていきます。
変わっていく周囲に押され、少し焦りながらも、學苑だけは、いつも変わらず私のそばにいました。
家の中も學苑の中も、全部が私の帰る場所で、全部が私の学び舎なのです。
この學苑があれば、私はそれだけで幸せなのです。
私の人生を彩ってくれた大切な學苑を、おかあさまのあとに継ぎたい。変化などいらないから、ずっと、このままの學苑で生きていきたい。
その一心で勉強してきました。
しかし、それは、叶えられない空想に終わりました。
衛が推薦をもらった数日後、『次年度を以て、學苑を統廃合とする。』との掲示がされました。少子化の波に押され、三年間、募集定員に届かなかったそうです。
私は言葉を失いました。変化が訪れることが、こんなにも苦しいだなんて思いませんでした。なにより、私の居場所だったこの校舎が、いずれ別のものになってしまうだなんて、考えたくもありませんでした。
やがて、高等部に進学しました。
衛は、學苑の統廃合に項垂れていた私を心配し、サッカーの推薦を蹴ったそうです。
王太先輩は変わらず生徒会に居ました。イギリスからの留学生と、全国模試一位の女生徒もそこに居て、一年だけでも仲良くしよう、と、私と衛を誘って下さいました。
そうして一年、私なりに、穏やかに、変化なく過ごしてまいりました。
もう、私は受け入れなければなりません。
おかあさまの考えを、學苑との別れを、みんなの決意を。
高等部で過ごした一年間で、それらを受け入れる覚悟はできました。
今日は、大昇學苑の閉校式です。
生徒会のみんなと考えて、最後くらい盛大に、と、今日は皆さんをお呼びしました。
つたない言葉ばかりですが、私たちの思い出を、聞いていってください。
皆様の人生が、どうか平穏でありますように。
本日も、大きくお昇りなさいませ。
大昇學苑高等部 第九十九代 生徒会副会長
大昇 心