徒然なるままに
~スマホに向かいて~
徒然なるままに〜スマホに向かいて〜
相馬杜宇(あいばもりたか)

【登場人物】


私の一室。簡易ベッドがあるだけの簡素な空間。
私、スマホを打ちながら語っている。

〔序段〕
 今日も一日スマホに向かって、思いついたことをメモする。忘れるといけないから。あ、佐川急便。お、クロネコヤマト。走り去っていく。お疲れさまー。お疲れさまだけど、夢なの? 夢だと思いたい。ホンマかいなと思ってしまう。人生間違ったんじゃないかと。川崎在住、といっても25分も電車に乗れば新宿だ。新宿といえば大都市。東京。何でもある。やる気さえあれば働ける。それなのに選択の自由が潰えてしまったのが虚しい。
近頃見方が変わった。雑誌の文章を読むと、「上手いなぁ、さすがはプロのライターだ」と思ってしまう。「自分も本気になれば書けるっしょ?」みたいに甘いこと考えていたけど、ウソこけ。どの口が言っとんじゃ。プロを甘く見るな。最近他人の技術が目について仕方ない。
あの日も新宿だった。よし、メモだ。メモしかない。きっとオモロいはず。整骨院のお姉さんも笑ってくれた。施術というより雑談に近い月に一度の楽しみ。毎日でも通いたいけど、お金がかかるし、「整骨院通い? ハマってますね?」と言われそうなので、月イチで我慢している。

 コロナ以降、人と話す機会がめっきり減った。友達とLINEでやりとりはしてるけど、全然会えてないし、どういう状況か分からない。たぶん“幸せそう”にしてると思う。
Facebookの楽しげな投稿。今ハッシュタグが付いた。
※2021年8月6日の小田急線死傷事件の犯人が、「幸せそうな女性を見ると殺してやりたいと思うようになった」と供述したことを契機に、このようなハッシュタグが登場した。
「#幸せそうという理由で私たちを殺さないで※」―。周囲の反応を見てると、「幸せそう? 何抜かしとんじゃ!」と憤っている。恐らく多くの人がそう思っているだろう。
 でも分かるんだよ、犯人の気持ちが。
 …ヤバい。喋りすぎた。こういうのがいけないんだった。
 思い出すことにしよう、「あの時」のことを。なるべく“ゆかい”に。

〔第一段 発症〕
 2016年12月。新宿西口。春の新作上演について作戦会議をする予定だった。メンバーは演劇人3名。自分は飲みたい気持ちが充満していた。たぶんメンバーも同じだったろう。
 脚本を書くのは私。22歳の時、戯曲のプレゼン公演でグランプリを頂いた。『在り処』という作品。一人暮らしの老婆が空き巣に入った泥棒を自分の息子と勘違いする話。舞台化決定、さらには新作の依頼まで舞い込み、まさにウハウハな状態だった。ソコソコ親しみやすくて、考えさせる作風と時代性を、演劇人が「いいじゃん」と思ったんだと思う。劇団はどこも書き手を探していた。私は就職をせず、この道で行くと決めてしまった。よく考えもせずに。
 「書きたい」の意志さえあれば、働きながらでも戯曲は書き続けられる。そのことに後々気付いて後悔するのだけど、のらりくらりと結局今日までやってきた。
 そして、この日の集合場所は新宿西口の大衆酒場。塩煮込みが美味い店。ホッピーを飲もうと決めていた。店員に案内され、席につく。メンバーはまだ来ていない。何を頼もうかと考えながら、程なく眠りに落ちていた。
 ハッと目が覚めると、ん? 何かおかしい。左半身の感覚が無い。再度確かめると左手が若干しびれている。左足にも力が入らない。どういうこと?、と思ったが、そのうち治るだろう。病は気からと言いますし、など甘く見ていた。
 そのうちに、吐き気が押し寄せてくる。ああ、早く横になりたい。

 思い返してみれば一年ほど前に前兆はあった。健康診断で血圧が高くて、「いるよね〜。看護師さん見て血圧高くなっちゃう人。まぁ白衣高血圧ってことで、紹介状書いておくから、余裕見つけて病院行ってみて」と主治医に言われた。やっと検診が終わったと思ったらすぐに呼び出され、血液検査の結果がかなり深刻なので、「2、3日中に受診するように」と告げられた。急に差し迫った感じで気持ちが凍るようだったが、医者にうるさいことを言われそうで嫌だったし、何よりお金の問題があり、放っておいた。今思えば、受診するべきだったと心底後悔している。

 新宿西口の居酒屋に時を戻そう。左半身の感覚がないのである。
 といっても、「すいませーん。今マヒってるんですけど?」などと店員さんを呼ぶわけにもいかない。誰かを呼ぶこと自体憚られた。要は恥ずかしかったのだ。何とか普通のふりをして、仲間が来たらこっそり伝えようと心に決めた。ようやく座った椅子は背もたれのない丸椅子。当時の私は体重93キロのヘビー級である。ふんばりがきかず、身体ごとゴロンと倒れ込んでしまった。

 「何? 酔っ払い?」 
 絶妙のタイミングでメンバー登場。
 「どうしたの?」
 「なんかおはしくて……」
 呂律が回っていないことに初めて気付く。
 「ダメだ。救急車呼ばないと」
そうなるだろうと察しはついていた。93キロの巨体が、手に余る墓標のようにそこに倒れているのだから。
数分後、到着した救命士が、「ウッ……100何キロ?」と言ったのをはっきり記憶している。鯖を読んで「80キロ」と答えておいた。
 初めて救急車を呼ばれ、恥じらいと、どうにでもなれという思いが混在していた。知り合いが救急車に同乗し、
「大丈夫だよ。楽にしてくれていいからね」
と言ってくれた。彼はもう忘れているだろうが、そのことがどんなに心強かったか。
 この時はまだ左手を握ると微かに感覚があった。が、思えばこれが最後の感覚であった。それ以降は指で掴むこと、キーボードを打つこと、手を支えにして起きあがることさえ難しくなったのだ。

〔第二段 急性期病院のこと〕
入院したのは大久保の都立病院だった。記憶が朧気だが主治医が気の毒そうな顔で、「お辛いでしょう?」と声をかけてくれたのを覚えている。紹介状もないのに分け隔てなく接してくれたのも有り難かった。 
病院の食事は意外に美味しかった。多国籍の患者が入院するため、諸々に対応しないと通用しないのだろう。
 ICUにいた時、弟がドリカムのアルバムを差し入れてくれた。私は、経鼻栄養チューブと、これを勝手に抜いてしまわぬための拘束ミトンを付け、「バルタン星人か?」と思うような出立ち。看護師が気を利かせてそのCDを流してくれた。曲名は「LOVELOVELOVE」。
 「名曲だよね」と看護師は言ってくれたが、シュール過ぎるこの光景は何だろうか、と思ってしまう。

 今では笑い話だが、経鼻栄養チューブと拘束ミトンの組み合わせは屈辱以外の何物でもなかった。「ごめんなさいね、ご家族がいらしたら外しますので」と看護師は言う。それってそもそも信用してないってことではないか? 経鼻チューブは異物感があって、「変な感じだなぁ」と思っているのは事実だ。でも、「ごめんなさいね」で拘束ミトンはないだろう。バルタン星人。緊縛プレイ。あらゆる屈辱を想像した。どうにかならないものかと心から思う。
 経鼻チューブが外れ一般病棟に移ってからは、数字の計算すらロクに出来ず、絶望的な気持ちになった。でもラーメンに詳しく、若い頃に役者をやっていたという言語聴覚士のおかげで、徐々にではあるが回復してきた。「いいじゃないですか。バッチリです!」と彼はいつも言ってくれた。が、以前とさほど変わっていないことを実感し、複雑な気持ちになることもあった。

 手のリハビリはさっぱりであった。「亜脱臼している」と作業療法士は言うが、感覚が無いので分からない。そして申し訳ないことに、リハビリ中に眠くなってしまう。熱心な女性で、丁寧に玉のようなものを運んでくれるのだが、回復の兆しはさっぱりなく、「これで本当に良くなるの?」と疑問だった。
 足もまた思わしくなかった。クロヌスという、脚が震え出す脳出血特有の症状が頻発した。「止まって!」と心の中で唱えるものの、自分ではどうにもならない。「開け、ゴマ!」と言ってるようで、「アリババじゃあるまいし」と感じて、おかしかった。
そこは急性期の病院なので、ある程度回復したらリハビリ病院に転院して療養するとのこと。皆「リハビリ頑張ってね」と言ってくれた。何やら分からんけど、頑張るしかないと思った。漠然と。
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