愛をメモる人




『愛をメモる人』
相馬杜宇
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【あらすじ】
約10年間劇作家として暮らしてきた私は2016年12月18日に脳出血を発症し、左の片麻痺になった。その日を境に母は岩手の実家を手離す決意をし、私と母の2人暮らしが始まった。母は看護助手として働いている。私は半年間の就職活動の末、障がい者向けのハローワークで何とか職を見つけたが、その企業は「法令上障がい者を雇用しなければならないものの、当面お願いしたい業務はないため、毎月給料を払い続けるがひとまず待機をお願いしたい」とのこと。私は複雑な思いに駆られたが、長い間就活していたため、この条件を受け入れることにした。
いざ暮らしてみると、知らないこと、気付かなかったことにあれこれ直面する。散歩道へ渡る途中の手すりのない階段。やたら書き込む欄が多い障害課の書類。これらは些末なことであるが、一番は人である。周囲の無理解、無意識下での見下し、劇作家に対する蔑み。高次脳機能障害は言葉を上手く話せないという症状を有している。助詞を間違うこともたまにある。「言葉を生業とする作家が簡単に言葉を間違うなんて……」と心底落ち込む私。
そんな中俳優・安井木こりは、少々気が短く、考え方は違うものの、私の唯一の友人である。木こりと私はやたら美味いと評判の「たこ焼き木こり」にて、演劇のことや生きる意味など、缶ビール1本で盛大に話し合っていた。「今に見ておれ」と心に誓いながら、私は日々執筆に励んでいた。
ところが思わぬ壁があった。母である。母に台本を読ませると、「いい感じ」とか「明るいトーン」といった印象批評しか言わず、実のあることは何も言わない。しまいに「2カ所誤字があったから」と余計なことまで口にする。良い作品を書けばきっと人の胸を打つことができるはずだと信じてこれまでやってきたのに。母は凡人に過ぎなかったのかと愕然としてしまう。
でも仕方ない。愕然でも何でも、築46年のアパートで、母と一緒に暮らして行かなければならないのだから。
これは2019年から2020年、そしてその後の物語である。
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【登場人物】※登場人物は演出の裁量により全員が演じても、一人何役かを兼ねて演じても構わない。これは私と母の物語である。
私 
母 
安井木こり
渋谷パコ
たえちゃん
金崎亜由美
高倉みなみ
成島典人
あやちゃん
選者
救急隊員1・2
常連1・2
土産物屋の人
元NHKプロデューサー
ある制作
ひろみ
職員
板橋
担当
運転手
ある観客
乗客

主たる舞台は私と母のアパート。私のベッド、本棚の一部に祖父母の仏壇(本の一部を取り除き花や供物、線香を供えたもの)がある。
メインとなる部屋にはダイニングテーブル。
その他のシーンも登場するが、あとは演出家とスタッフに任せる。
主人公となる「私」はメモ代わりにスマートフォンで文字を打つ。そのため観客が分かりやすいようメモを投影するプロジェクターを用意して欲しい。
戯曲に場所が描かれているからと言って生真面目に作り込む必要は微塵もない。重要なのは細かい助詞の「てにをは」ではなく「内容」である。
この戯曲の本質は「メモする」ことにある。くれぐれも私が書くメモを俳優が声に出して読んだりしないようご留意いただきたい。
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【1幕】
�@    母と私の一室 (2019年 夏 夜)
暗闇から母の歌声が聞こえてくる。

母 いなかいなか いなかいなか いなかいなか いなかいなか いなかは緑が多い いえい

明かりが点くと母と私が夕飯を食べている。
私の見た目は普通だが、よく見ると左の片麻痺で、左手はだらんと垂れ下がり、日常生活動作の役には立っていない。私は世間的に見れば小太りの部類に入る(一方母はやせ型)。夏のある日の夜。

母 知ってる? 踊ったんだよ。児童会長の演説の時。
私 若気の至りだ。
母 首のところに手拭い巻いて。可笑しかったなぁ。
私 もういいじゃん、至ってるものは。
母 東京農大って大根踊りが有名だったね。(大根の漬け物を箸で掌に取り)はい、大根。
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