パンプキンが降ってきた
戦争中、模擬原爆で予行演習って、ほんとう?
パンプキンが降ってきた
−戦争中、模擬原爆で予行演習って、ほんとうにあったの?−
2008.9.1


【まえがき】
太平洋戦争末期、アメリカはすでにマンハッタン計画によって原爆開発に成功していました。
二種類の原爆が実験で試されました。一つはヒロシマに落とされたウラン型のリトルボーイ、
もう一つはナガサキのプルトニウム型ファットマン。どちらも名は体を表すのとおり、リトルボーイは細身で小柄、
ファットマンはずんぐりむっくり、しかしアメリカとしては、後者が本命だったようです。
原爆の実験に成功した米軍は、つぎに投下の実践訓練をするために、ファットマンと同じ形、重さの大型爆弾を作ります。それが模擬原爆パンプキン。つまり、ファットマンという原爆のそっくりさんです。
このそっくりさん、パンプキンという名ににあわず、
おそろしい破壊力をもっていました。
ヒロシマ、ナガサキに原爆が投下されるまでに、日本各地に落とされた模擬原爆パンプキンは49発、
犠牲者は400人以上、負傷者もまた1200人を超えています。
(「その時歴史が動いた −模擬原爆パンプキン 〜秘められた原爆投下訓練〜」
(2008.8.27)参照)
被爆という日本人の経験は、これからも世代を越えて伝えていかなければならない大切な問題ですが、
そのとき、模擬原爆パンプキンの存在もまた忘れてはならないものの一つだと思います。


【では、はじまり、はじまり】

(時は、昭和二十年七月下旬から八月中旬にかけて、場所は大阪郊外の町)

ナレーター「みなさん、日本が戦争をしていたのは、いまから七十年近く前だということは知っていますか。太平洋戦争って呼ばれていました。七十年前というと、
みなさんのおじいさんやおばあさんでも、経験しているかどうかわからないくらい前のことです。
戦争に負けたのが、昭和二十年、1945年8月15日です。アメリカ軍が本土に上陸してきたら、
竹やりで立ち向かえ、一億玉砕、最後の一人になるまで戦え、と叫んでいた人たちが、
なぜ降参したかというと、
原爆が落とされたからです。広島に原爆が落とされたのが八月六日、長崎が九日です。
アメリカは原爆を落とす前に予行演習をしていました。B29という大きな爆撃機に
原爆とそっくりな模擬原爆パンプキンというやつをつんで、日本各地で落とす練習を
していたのです。見た目は原爆にそっくりですが、中身は原爆ではなく、
火薬がいっぱいつまった爆弾です。
パンプキンというのは、何か分かりますか。そうカボチャです。そもそも原爆が
ずんぐりむっくりのカボチャみたいな形だったので、模擬原発パンプキンもそんな
形に作られていました。
そのパンプキン爆弾がまだ完成していないとき、アメリカがパンプキン爆弾のそっくりさんで
原爆投下の練習をしていたとしたらどうでしょうか。
想像してみてください。どでかいカボチャが空から降ってきたらどうでしょうか。
びっくりしますよね。そのびっくりから劇がはじまります。
ある小学校の庭にパンプキン爆弾のそっくりさんのどでかいカボチャがドスンと落ちてきたのです。
こわい話ですね。でも、爆発はしませんでした。
それもそのはず、このどでかいカボチャ、パンプキン爆弾のそっくりさんということで、
B29が原爆投下の練習のために落としたものだったからです。
ほんもののどでかいカボチャ……、
知っていますか、何百キロもの重さの巨大カボチャ、
見たことがあるでしょう。よくコンテストとかやっていますよね。あれです。
原爆のそっくりさんのパンプキン爆弾のそっくりさんのどでかいかぼちゃが
B29爆撃機によって小学校の校庭に落とされたのです。
学校は、大騒ぎになります。生徒も先生も右往左往です。右に走ったり、左に走ったり。
さて、どうなりますか、そこは観てのお楽しみ。では、はじまり、はじまり……」

【一場】
(真っ暗な中に飛行機の爆音。サイレンが鳴り渡り、「空襲警報、空襲警報」の声。
暗い中にドスンという大きい音が響きわたる)
(明転)
(舞台中央に大きい張りぼてのカボチャが落ちている。
ふしぎなことに割れていない)
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