或る作家の処女作

   藤崎、舞台上に座って本を開く。
   大宮、警官の制服姿で出てくる。

大宮 自分は、父と母、そして妹の四人家族で育ちました。実家はしがない商家でして、父が仕事を退いた後は、自分が一家の稼ぎを担っていました。自分は、望んで警察という職を志しました。この職は、自分の性に合っているように思われました。初めに選んだ理由は給料が安定しているからというありふれたものでしたが、真実を追究し、悪しきを罰するという理念に自分は惹かれていきました。疑わしきは罰せずですが、疑いを確信に変えることが、自分の得意とすることでした。

   藤崎、本のページをめくる。

大宮 警察という職を選んだ自分を、家族はとても喜んでくれました。もちろん、危険が伴う仕事というのは百も承知でした。けれども、父と母、そして妹は、自分の意志を優先してくれました。「それが渉のやりたいことなら」と。渉というのは、自分の名です。性は大宮と申します。そんな家族に支えられている自分は、とても恵まれておりました。最も、そのことを実感するのは、もっとずっと後のことです。残念なことに。

   藤崎、本を閉じ、大宮に見入る。

大宮 妹の名はさくらと申します。自分で言うのも何ですが、その名の通り、儚く、可憐で、器量の良い自慢の妹でした。

   さくら、出てくる。

さくら 兄様。
大宮  さくら。どうした?
さくら さっきから呼びかけていたのに答えてくださらないから。何か考え事ですか?
大宮  あぁ、そうか。すまない。何でもないんだ。
さくら でしたら、早くいらしてください。今日は私の嫁見ですから。先方の方も、そろそろいらっしゃいます。
大宮  わかった。すぐに行く。

   さくら、いなくなる。

大宮 あるとき、さくらに見合いの話が舞い込んできました。持ちかけてきたのは、質屋を営んでいる高森家でした。そこの若旦那、高森慎吾という青年はとても誠実な商いをすることが近所でも評判でした。両親はこの話を喜んでいましたが、無理に引き合わせようとはせず、まだ若い二人の選択に任せようという考えのようでした。自分も、さくらと慎吾君の意志が一番だと考えておりました。

   さくら、慎吾、出てくる。
   大宮、二人の様子を遠巻きに見ている。

慎吾  それでは、さくらさんにとって渉さんは、親代わりのような存在だったんですね。
さくら はい。両親が仕事で忙しいときは、いつも兄様が面倒を見てくれていました。今でも少し過保護なところもありますけど、私の自慢の兄様です。
慎吾  羨ましいです。俺は一人っ子ですから。
さくら でも、喧嘩もよくしますよ?
慎吾  そうなんですか?
さくら 喧嘩というか、兄様が私の心配ばかりして、自分のことを話してくださらないから、それで私が拗ねているだけなんですけどね。
慎吾  きっと、渉さんは自分のことで心配をかけたくないだけだと思いますよ。
さくら わかっています。でも、話してほしいんです。家族ですから。

   慎吾、さくら、二人並んで話しながらいなくなる。

大宮 さくらは、慎吾君といるといつにもまして輝いて見えました。それが恋ゆえのことなのだろうということは、部外者の自分でもはっきりと見て取れました。慎吾君は絵に描いたような好青年ですし、さくらも気立ての良い娘でしたから、二人が惹かれ合うのは、時間の問題でした。

   慎吾、出てくる。

慎吾 渉さん。
大宮 慎吾君。何か?
慎吾 ようやく、決心がつきました。俺、さくらさんに結婚を申し込もうと思います。
大宮 なぜ、それを自分に?
慎吾 さくらさんのことを一番近くでみていらしたのは、渉さんです。俺の相談にも耳を傾けてくださいましたし、だから、最初に伝えるべきは、渉さんかと。
大宮 なるほど。でも、どうやら詰めが甘いようだ。
慎吾 え?
大宮 さくら。そこにいるんだろう?おいで。

   さくら、出てくる。

慎吾  さくらさん……い、いつから……?
さくら ……初めから。
慎吾  あ、あの、えっと……。
さくら 慎吾さん。
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