新釈アグニの神
新釈 アグニの神
※芥川龍之介の「アグニの神」に大幅に脚色をくわえて演劇の台本にしたものです。
配役
遠藤…香港の日本領事の書生。
妙子…香港の日本領事の娘。十二~十五歳ほどの少女。老婆に中国人の子供の恰好をさせられ、恵蓮とよばれている。
魔法使いの老婆…妙子をさらった魔法使い。「アグニの神」を妙子に乗り移らせ、予言を聞く。インド人。
室内のシーンは下手にドア。椅子が二脚。斜めに向かい合うように位置する。往来には下手にドア。占いのシーンは上手にドアを設置する。あとの装置は自由。
一、遠藤、潜入
一九二〇年代上海。二階建てで少し年季の入った下町の建物。夜遅く、薄暗い二階の室内は雑多な印象だが、調度は高級そうである。下手側の椅子に座るみすぼらしい老婆に向き合い、上手側にはそこまで高級な装いではないが、清潔感のある紳士、遠藤が座る。狡猾そうな、相手を見下したような、堂々とした態度。お互い値踏みするように相手の様子を探りつつ会話が始まる。
老婆 それで、なにをご所望だい? あんたみたいな身なりのいい紳士が、こんな下町の薬屋に御用とは……。ははあ、堕胎薬かい?それなら…
遠藤 薬屋だって?白々しい。ケチな薬屋に上等の葉巻があるもんか。禁制品だろ? ずいぶん羽振りがいいんだな。
老婆 ……その発音、あんた、中国人じゃないね。
遠藤 ああ、日本人さ。ここ、上海じゃ珍しくないだろう? 婆さんこそ異国人のにおいがするぜ。そうだな……中国よりもっと南。そうだ、熱波の国、魔法の国、印度の雰囲気がある。
老婆 何が言いたいんだい。
遠藤 商売をしてくれって言ってるんだよ。婆さんの本業、占い屋のね。
老婆 何のことか、あたしにはさっぱりだよ。
遠藤 (老婆に聞こえないように)チッ、信用できない奴にはしっぽを出さないか、古狸め。
遠藤 (老婆に小切手に書いて渡す。)ほらよ、小切手だ。
老婆、ひったくるようにしてとる。
遠藤 (観客のほうを向き、心中を吐露する)「経済」という言葉はこの国の「経世済民」が語源だったか。世をおさめ、民を救う――金で人が救われる。(皮肉っぽく笑う)神が聞いたら怒り狂うな。まあ少なくとも
老婆 一、十、百…三百ドル! 旦那、何を占いましょうや。
遠藤 金は神より役に立つ。(老婆に向き直る)いやあね、占ってほしいのはずばり、時だよ。
老婆 時…と言いますと。
遠藤 俺たち商売人は時流に乗るっていうのが何より大事さ。それは分かるだろう。
老婆 まあ、ハイ。
遠藤 例えば、疫病が流行ると薬や棺桶が売れる。これもわかるか?
老婆 わかりますよ。
遠藤 もし疫病が未来のいついつに流行るとわかれば、薬や棺桶を早いうちから買い占める。そして、疫病が流行ったらそれを売る。大儲けさ。
老婆 で? 疫病がいつ流行るか占えばいいんで?
遠藤 いやいや、今のは例え話さ。疫病なんかよりも、もっと、近い時期に、きっと、確実に起こることがある。しかも、ビョーキよりもっと儲かる。それがいつ起きるか占ってほしいんだ。
老婆 こっちも商売なんですから、もっとはっきり言ってくれませんと。
遠藤 やあすまないね。ずばり、そう……戦争だよ。日本とアメリカがいつ戦争をおっぱじめるか占ってくれ。
老婆 ははあ、武器を売るおつもりで?(ニタニタ笑う)
遠藤 客の詮索はいいから占ってくれ。あんたの占いは百発百中だってんだから、こんな大金を渡してるんだぜ。
老婆 ええ、ええ。私の占いは必ず当たりますとも。なんせホンモノの神様がついていますからね。では、
老婆、人差し指を立てて占いの説明をしようとしたところ、遠藤が遮る。
遠藤 待て。一応念書をかけ。
老婆 念書?なんだってそんな。
遠藤 この占いの内容を他言しない、と。ほかの貿易会社に漏れちゃあ、買い占めも意味がないからな。
老婆 用心深い旦那ですこと。
遠藤 三百ドルも払うんだ。用心深くなるさ。
老婆 ええ、ええ。念書くらいお安い御用さね。(サインを書く)
遠藤 それから従業員も呼べ。そいつにも念書を書かせる。
老婆 ……旦那、この店はあたし一人だけですよ。
遠藤 嘘をつけ。先ほどここに来る前に、二階の窓にガキがいたのを見たぞ。
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