夏風と追憶
夏風と追憶

染井 茜了

向井(むかい) 茂(しげ)隆(たか)
古川(ふるかわ) 凪子(なぎこ)
シゲタカ(青年時代の茂隆)

1.   折れた筆
茂隆の書斎。
開け放たれた窓から、蝉の声が遠く響く。
机の上や床には、本や便箋(びんせん)が散らばっている。
    『金魚が空を泳ぎ、夕暮れが訪れる。』
    『波のきらめきをみて、体が海に抱かれている感覚を思い出す。その時私は初めて恋に落ちた。』
    『私が死んだらその骨を砕いて花への肥料にでもして頂戴。』
茂隆、筆を走らせては書いた紙を丸めて捨てる。苦悩している様子。
茂隆   「……。」
茂隆、大きくため息をつき、また机に向き直る。
茂隆の手元のアップ。
    『君の指先、眼差し、声、すべてが僕の心だ。
    僕の言葉は疾うに失われてしまった。
    全部、全部、全部、僕は失った。
    君に出会ってから僕の世界に色がついた。』
風が吹いて、風鈴の音が鳴る。
2.   凪子
二十数年前。公園。
凪子、ワンピースに素足で草むらを踊るように歩き回っている。
シゲタカ、ベンチに腰掛け凪子を見守りながら、ノートに詩を綴っている。
シゲタカの愛おしそうな眼差し。
自由に動き回る凪子。
凪子   「シゲくん! 」
シゲタカに駆け寄る凪子。
凪子   「ねえ、私が死んだら、その骨を砕いて花への肥料にでもして頂戴。」
シゲタカ  「え? 」
凪子   「ふふ」
シゲタカ  「どうして、急にそんなことを言うの凪ちゃん。」
凪子   「ほら、『桜の樹の下には屍体が埋まっている』っていうでしょ? 私を養分にしてどんな花が咲くのか気になるじゃない。」
シゲタカ  「……そうだね。でも、君はその花を見られないじゃないか。」
凪子   「ふふ。」
凪子、シゲタカの頬に手を添える。
見つめ合う二人。
凪子   「いいのよ。私はあなたの目を通して見るから。もう、私達の魂はひとつでしょ? 」
風の音。大きくなっていく蝉の声。
茂隆NA  「自然と文学を愛する人だった。」
3.   花と骨
現在。
茂隆の書斎。
先ほどの文章の続きを書き連ねている。
茂隆NA  「僕は自分の文才を信じていた。自らの知性を愛していたし、周囲の人間もよく僕の書いた詩を読みたがった。しかし、彼女、凪子という女性に出会って、世界は一変した。凪子の言葉はどれも謎めいていて危うく、美しかった。彼女の紡ぐ言葉に、心に、僕は惚れ込んだ。僕の魂は彼女の魅力に侵食されていって、一つになった。
そして、自分の言葉を、表現を失った。彼女がいなくなった今でさえ……僕は僕の言葉で世界を表すことができない。やっとの思いで紡いだ言葉もすべていつか彼女の口から溢れたものをなぞっているだけに過ぎなかった。
彼女に出会わなければ、こんな苦しみは味わう事もなかったのか。出逢った頃は天使のように思えた女性が、今は悪魔のように思える。
もっと、もっと早くこうなると気付けていたら、もっと早く別れられていたなら……」
茂隆のモノローグが聞こえる中、文章を書きながら苦しむ現代の茂隆と
過去の幸せそうな凪子とシゲタカの姿が交錯する。
茂隆   「うあああああああ! 」
茂隆、突然声を上げて頭を抱える。
茂隆   「……もっと早く殺していれば……! 」
一瞬の静寂(せいじゃく)。
消魂(けたたま)しい蝉の声。
カーテンと風鈴を揺らす風。
茂隆の記憶が蘇る。
茂隆、凪子の首を締めている。
凪子、穏やかに微笑みを浮かべている。
凪子   「骨は……庭に……撒いてね……。」
凪子、茂隆に絡みつく。
凪子   「ねえ……ずっと一緒よ。もう、私達、一つだものね。」
茂隆、ハッとして意識が現在に戻る。
風に揺れるカーテンの先、窓の外には庭が見える。
あまり手入れがされている様子はない。
しかし、一部分にだけ妖しく、鮮やかな赤い花が咲いている。


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