酷い。
先生:起き抜けにふと浮かぶ。
先生:「なるほど、あなたには私が鬼のように見えるのでしょう。けれどもそれは私がむかしに、かなしい、かなしい思いをしたからなのです、そのことに思いをはせてどうか私を鬼などとは呼ばないでください。」

私:ああ、こんな、すさまじく奔放な文を浮かべて、書き留めもせずに流してしまう。

私:「僕に下さいよ」

先生:「こんなものをもらってどうするんだ。こんなのはあぶく文(ぶみ)で、一銭の価値もないですよ」

私:そら。この人は、

私(タイトルコール):「酷い」

0:(拍手の音)
0:(広い会場に響くマイクのハウリング)

司会者:「いやぁ、この度は芥川賞受賞、誠におめでとうございます!改めまして、まぁご来場の方々は皆様ご存じの事でしょうが、受賞作『銀貨三十枚、あぶく文を買う』と作者、藤岡みつる先生につきまして、簡単にご紹介したいと思います」

司会者:「藤岡先生は2003年、19歳で処女作『明日』を発表、綿密な筆致が直木賞作家・進藤洋二に評価されます。
しかしそこから執筆活動が途絶え、2013年にようやく文芸「ヨ明カリ」で連載『うとう蜂』を、続けて『傘の人から』をハザマ新聞に連載。処女作から打って変わった情緒的な文章で幅広い年齢層から評価されます。2019年出版の短編集『魚の頭の向かう方』は新進気鋭の漫画家ユララカンナによるコミカライズが大ヒット。
そしてこの度、『銀貨三十枚、あぶく文を買う』が他の有力候補を押しのけて芥川受賞と!なったわけでございます。こちらの作品、先月映画化が決定したばかりで、めでたいばかりですね!」

0:(先生と私)

私:「海辺の観光地区へ来ると、磯の匂いがする。魚がうまい。その二つが楽しみだ。だが狭苦しい。昔見た飛騨高山の茅葺屋根の余白に比べれば、狭苦しい。海はあんなに広いのに」

私:机にかじりついて、見もしない海のことを書いた。

先生:「それはエッセイとは言えない。だって君のは記録文だよ」

私:「ではどう書いたらいいですか?」

先生:家の裏山に飛んだ烏を見て浮かぶ。

先生:「浅間の山の上の空は何ともいえず寂しい。なぜだろう。あそこに胡麻のように烏でも飛ばそうか。踏まれた砂山のようなあの形がいけないのか。わたしが写真で見るからいけないのだろうか。そう思いながら、私は三十年、浅間山を見ることなく過ごした。今年こそは見に行こう」

私:「これじゃ、嘘じゃないですか」

先生:「嘘かな?私は確かに見たよ、浅間の山のつぶれた砂山のような形。その上のぽっかりした空の空白。じっさいに目の前になくても、見られるものだ」

私:「それは見たとは言わないじゃないですか」

先生:「そいじゃ君は、君が書いた通りに海を見たの?」

私:「……」

先生:「見たもののそのままでは踏みとどまれないんだ、私はね。ふぅっと遠く、見もしない異境の、水に映る棕梠の葉の影を見たりする」

私:「まるで薬物が生む幻覚ですね」

先生:「うん、そうだねぇ。自分でもそう思う」

私「でもいいなぁ。先生の文を朝から晩まで記録したら、それだけで短編集が編めるでしょう」

先生:駅のベンチの冷たさに浮かぶ。

先生:「ニューヨークでもこんなにベンチが冷たいなら、私の生まれ育った片田舎の、無人駅舎の椅子などは、どれほど冷え切っているだろう。フランダースの犬のために熱い涙を流した人が贈ったあの像でさえ、冷やかに孤独を味わっていると聞くから……」

私:「佐久間という友人に万年筆を貰った。この男は私に学生の時の劣等をまざまざと感じさせる、大の苦手だった。」

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