アケルダマの亡者
アケルダマの亡者
【登場人物】
・亡者(ユダ)
暗い中で声がする。だんだん明転。
亡者 おい…おい!…大丈夫かお前。…はははは。大丈夫。お前死んでるから。これ以上もう死なねえよ。
崖下の共同墓地。崖には幾つか洞窟があり、その中も古代の墓所として使われてる。
亡者 …うん?…だから死んでるんだって。…(相手を指差す)お前。…冗談言って俺に何の得があるんだよ、俺はね、こう見えても割と真面目な男よ?
…え?俺?ここの大家みたいなもんだよ。ま、今はただの地縛霊だけどな。…ここ…知らねえのか?「アケルダマ」。「血の土地」って意味だな。ほれ、周りの崖に洞窟空いてるだろ?元々陶器を作る職人が粘土掘りをしていた場所なんだが、粘土が取れなくなって荒野になってたのを俺が買い取って、坑道を使って共同墓地にしたのよ。外国人だとか金がねえとか、縁者がいねえとか宗教が違うとか、色々あって普通の墓に入れねえやつを葬るための墓地だな。どんなヤツだって死んだ時ぐらいは墓に入りたいだろ?
…知らねえよ。俺が見つけた時には、もう死んでた。…落ち着けよ。まあ、いきなり死んだらびっくりするよな。でも今更慌ててもどうにもならねえ。お前は死んだ。それはもう変わりないんだ。諦めて受け入れろ。ここには、お前みたいに死にぞこなってるやつが他にもいる。ゆっくり、生きてた時のこととか死んだ時のこととか思い出しながら、気が済むまでここにいたらいいよ。
…俺か?…まあ、俺もそうだな。死にぞこないの一人だ。…だいぶ長いよ。かれこれ二千年近くなるな。…そう二千年。…すごかねえよ。ただ眠れねえってだけだ。…お前は大丈夫だろ。普通の死にぞこないなら、長くて数日。色々あるやつでも何年かすると死を受け入れて、いつの間にか眠ってるもんだ。大丈夫。安心しな。
…地獄行き?…罪を犯してるから?…ああ、まあそれはしょうがねえよ。でもな、地獄もたぶん、そんなに悪いもんじゃないぞ。…例えばお前、酒も飲まず女も抱かず、優しくほほえみ世界の真理を語り合う、なんてことできるか?やってる自分を想像できるか?本当に天国に行けるのはそういうやつだ。ってことはだ、まかり間違ってお前が天国に行ったら、そういうやつらの中で暮らすんだぞ?しかも永遠に。それに比べたら、焼かれたり刺されたりしても、似た様なやつらと暮らす方が気楽じゃないか?
…俺?俺も行くとしたら地獄だろうな。…俺の罪か?そうだな。一言で言えば「ペテン」だな。価値のない物を価値があるように見せたり、価値がある物を価値がないように見せたりして人を騙し、信用を裏切る罪。
知ってるか?裏切りの罪は一番重い罪でな、地獄の中でも最下層、第九圏のコキュートスに落とされて、堕天使ルシフェルにガジガジ噛まれ続けるんだとよ。たぶん噛まれても噛まれても死ねねえんだろうな。酷いよな。
でもなんで裏切りがそんなに重い罪なんだろうな?そりゃ、俺は人々に、真実とは違う物を見させたかも知れねえけど、人は元々、自分の見たいものを見、信じたいものを信じる生き物だ。俺は、ただあいつらが見たいもの信じたいことを、見させ信じさせただけだ。欲しがってる人に欲しがってるモノを与えるのは悪か?じゃあ「求めよさらば与えられん」なんていうやつも悪だろ。違うか?
まあいいさ。俺だって慈善事業をやってたわけじゃない。欲得ずくでやってたんだからやっぱり罪なんだろうな。
…聞きたいのか、俺のこと。お前、珍しいやつだな。俺はな、商人だった。貧乏子沢山の末っ子でな、生まれ故郷のイスカリオテにゃ耕す土地も住む場所も無かったから、村に立ち寄った行商人のキャラバンに紛れ込んで旅に出た。俺は腕力も無かったし見た目もこんなだったが、口と頭はよく回ったから、見様見真似で商売を学んだ。売れそうなものを見つけ出して買いたたき、買いそうなやつを見つけて売りつける、そうやって稼ぎまくって、気がつきゃ自分でキャラバンを率いるくらいになっていた。
でもな、ある頃から言いようのない苛立ちを覚えるようになった。当時俺らの国はでっかい帝国に支配されてた。自前の王様はいたが自治権は無かった。日々の暮らしにゃ色んなしきたりがあって、それを司る祭司連中が幅を効かせてた。俺たちは、帝国の支配者や祭司どもに首根っこを押さえられて、自分たちの思うように生きる事が出来なかった。稼げば稼ぐだけごっそり持って行かれる。不満そうな態度を取れば痛い目に合う。事なきを得ようとあいつらに尻尾振る度に、心が乾いて削れていくようだった。
そんな時、先生の噂を聞いた。その頃俺は、ガリラヤのカぺナウムって町で商売をしてた。湖のほとりの港町で漁師が多かった。
先生は元々そこに住む大工の息子だった。「世界の終わりは近い!悔い改めよ!」が決まり文句のヨハネから洗礼を受けたって言うから、どうせ似たような堅物だろうと思って話を聞きに行ったら、全然違ったよ。
※以下、二重鉤括弧書きは聖書の言葉。「マタイ○章○節」などの部分は出典。プロジェクターなどで表示するか音読する。(音読の場合は出典は読まない)
『こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
マタイ五章三-五節』
亡者 なんだこれは!?って思ったね。そんな事言う律法学者も祭司も今までどこにもいなかった。ユダヤ人以外には死を撒き散らし、ユダヤ人であってもしきたりを守らなければ罪人として地獄に落とす。それが俺たちの神様だった。なのに、先生は違った。
『もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。
マタイ五章三九節』
亡者 先生の言葉は真逆だ。神様は俺たちを愛してると、愛することが真理だと言った。
『敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
マタイ五章四四-四五節』
亡者 罪を犯している者も、いや、いっそ、罪を犯してる者だからこそ救われると言った。
『丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。
マルコ二章一七節』
亡者 俺は興奮した。身の内が震えるようだった。こいつだ!こいつなら行ける。この先生なら、世界の仕組みを変えてくれる!だから俺は、その場で先生の弟子に加えてもらったんだ。
当時先生には俺の他に11人の弟子がいた。漁師の子供や徴税人だった男、熱心党の活動家、ヨハネの弟子崩れ。俺も含めて、当時としちゃどう考えても聖職者になんかなれねえ連中ばっかりだった 。先生に付いて回る信徒も似たりよったりで、みんな貧乏人や病人、怪我人、浮浪者、チンピラ、犯罪者、そんな連中ばかりがうじゃうじゃ。でも先生は、そんなやつら一人一人に微笑み、話しかけ、悩みや怒りや悲しみを聞き、慰め、諭し、癒やした。
『ひとりの重い皮膚病にかかった人が、イエスのところに願いにきて、ひざまずいて言った、「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。 すると、重い皮膚病が直ちに去って、その人はきよくなった。
マルコ一章四〇-四五節』
亡者 そう、特に癒やしの技はすごかった。血の病の女を癒やし、盲人の目を開き、中風で歩けない者を歩けるようにし、死んだ娘を蘇らせた。中には先生の服の裾に触れただけで治るやつまでいた。どこの村でも町でも、先生のところに病人や怪我人が列を成して待っていた。
俺は教団の金庫番をするようになった。俺は金が好きだったし他の誰より金の扱いは上手かった。他の弟子どもは足し算すらロクに出来ねえやつが多かったし金勘定を嫌ってた。徴税人だったマルコなんかは向いてたんだが、弟子入りとともに「金は汚らわしい」と言い出した。馬鹿な話だ。金は人の欲を形にして扱うための道具だ。汚らわしいのは使う人間であって金そのものじゃない。大事なのは使い方だ。
俺は、信徒が寄進してきたモノを商人に貸したり、穀物の先買いで殖やし、殖やした金は先生の活躍のための資金にした。例えば、ほうぼうで効きそうな薬を買い集めておいて、先生の技だけじゃ治らなかったやつに先生からと言って施したりした。一人治れば十人、十人治れば百人の信徒が集まる。信徒が増えればそれは力になる。少々金がかかってもこれは投資だ。
こんな事もあった。ある時、先生は湖の畔で集まった連中に説教をしていた。五千人近くいた。みんな貧乏だ。食べる物もロクに持たず、先生について行けばなんとかなるとそんな甘いこと考えて着いてきた連中ばかりだった。周りに街はない。俺は先生に言った。
この辺は寂しいとこだし、だいぶ遅くなりました。ここらで解散させて、近くの街に食い物を買いに行かせませんか?
『あなたがたの手で食物をやりなさい。
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