考える秘湯
考える秘湯 作・上田真平(劇団NEW WAVE)
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登場人物

男  …… サウナをこよなく愛する男。
男* …… サウナをこよなく愛する男の心の声。

田中 …… サウナに入ってきた男。
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   SE:蒸気と秒針の音。

   暖色系の明かりがフェード・イン
   明かりがつくと、そこは、「扇湯」のサウナ室。
   舞台中央、やや下手よりに男。

   オーギュストロダンの「地獄の門」の「考える人」のようなポーズ
   男、腰にタオルを巻き、目を閉じている。
   男、そっと目を開け、壁の12分計に目をやる(マイム)。

男   ふぅ……
男*  ──12分計の針が6分を過ぎた。温度は90℃、湿度10%。木の香りも心地よい。本日のコンディションも最高だ。毛穴から吹き出してくる汗、体中をめぐる血流。それらが自分の存在というものをありありと感じさせてくれる。宇宙の中に自分だけが存在している、そんな感覚。両手を広げるのもやっとのサウナ室で、宇宙を感じるとは趣深い。いや、この狭い空間こそが、そう感じさせる要因なのだろう。シャッター商店街の少し外れにひっそりと佇む銭湯「扇湯」。こんな事を言うと鼻で笑われてしまうだろうが、私はここを「秘湯」と敬意をこめてそう呼んでいる。なにも都会から離れた山奥などに行く必要はない。ここに来さえすれば、俗世間の煩わしさから離れる事ができる。ここは、俗にまみれた番組を垂れ流すテレビも設置していないし、なにせ人が来ない。時代に取り残されたかのようなこの銭湯には今はもう限られた人しか来ないのだろう。特にこのサウナはいい。入浴料430円に加えて、特別料金200円を払った者だけが入る事を許された特別な空間。本当に人に出合わなくて済む。兎角、ここでは、向き合うものは自分以外なにもない。一切何も考えず、ただただ自分と向き合える。私にとって最高のサウナだ──

   と、その瞬間、
   SE:扉が開く音。
   田中、登場。

男   !!
田中  !!

   男、田中、お互いに驚いて少し固まった後、会釈。
   男、少し座っている位置を直す

男*  ──あぁ、驚いた。一瞬理解が追いつかなくて固まってしまった。まさか私以外にこのサウナを使う人間がいるとは。世界で私だけが知っている「秘湯」だと思っていたのに。いや、当然か。なにせ、ここは最高のサウナだ。というより、むしろ来てもらわなければ困る。人が来なければ、この銭湯がつぶれてしまうのだから。何を一人の空間を邪魔された気になっているんだ。この人はいわば同士。今までと変わりなく自分に向き合えばいいだけの話。気にしない気にしない──。
田中  ……シューッ(息)
男   !

   間

田中  ……んん……(ポリポリと背中をかく)
男   !!

   間

田中  んんっ! あ゛あ゛ん!(咳)
男   !!!
男*  ──ダメだ。やっぱり気になる。気にしないようにしようとすればするほど気になってしまう。あぁ、同じサウナを愛する同士に対して何をイライラしているんだ──。

   田中、男の様子を見て姿勢を正す

男*  ──この人がいったい何をした? この人は何も悪くない。幸い、見た目だって中肉中背、どこにでもいそうな顔。全くノイズになるような要素はない。きっと名前も田中ミノルとかよくある感じのそんな名前だろう、うん。どう考えても私の問題──。

   男、田中の方に目をやる

男*  ──ん? 田中さん──なんで、こんな足を広げて座る事もなく、背筋は反るほどピンと伸ばしているんだ? まるで満員電車に座っているみたいじゃないか──!! ま、まさか! 田中さんは私に対して極力存在を消そうとしてくれているのか!? 「自分は空気です」といわんばかりに! 無になろうと努めている!? な、なんて心遣い! なんて紳士的行動なんだ田中さん! ──あぁ、情けない、そんな田中さんに対して私は、怪訝な表情を浮かべてしまっていたのではないか? ちっぽけな心を汲み取られてしまったのではないか? あぁ、謝りたい! そしてサウナを愛する同士して固い握手をしたい!──
田中  あの……
男   え?
田中  大丈夫ですか? 気分とか……
男   はい?
田中  いえ、なんか、こう……(男の手振りを真似て)胸とか押さえられていたので……。
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