【朗読】キツネの弔い合戦
キツネの弔い合戦
作/保邑リュウジ
《登場人物》
鏑木誠一
鏑木伸枝
木津初音
年老いた伸枝
SCENE1
暗闇に少し不気味な音楽が流れる。
明かりが入ると、誠一、伸枝、初音が座っている。
伸枝 ねえ、一体どうしたの?
誠一 ちょっと旅に出る。…俺は、そう簡潔に答えた。それ以上、答えようがなかった。
伸枝 かなりの大荷物だね。長旅になるの?
誠一 ああ。
伸枝 北の方?南の方?
誠一 いいだろ、どっちだって。
伸枝 その位教えてくれたっていいじゃない。
誠一 正直、俺には何処へ行くあてもなかった。ただ、ここにいては駄目なことだけは確かだった。
伸枝 暫くは帰れないんだね。
誠一 ああ、いくつかの支店で、大事な商談があるからね。
伸枝 大変だね。
誠一 留守中、いろいろ面倒だと思うけど、帰れる時には連絡するから。もし、誰かから俺宛に電話でもあったら、そう伝えておいてくれ。
伸枝 分かった。なるべく早く帰ってきてね。
誠一 ああ、そうする。
ドアが閉まる音。
伸枝 そう言って、あの人は出て行った。これまでの出張の時とは全然違う、大きな荷物を抱えて。それから、一体どの位の年月が流れたのだろう。
誠一 あれから、一体どの位の年月が流れたのだろう。俺は相変わらず、ビジネスホテルや漫喫を転々としている。手持ちの金も底を突き、三食が二食、二食が一食になって、とうとう、食べ物にありつくことも難しくなった。
伸枝 昨日も、警察の人がうちに来て、夫から連絡がないか尋ねられた。私は、「はい、出て行ったきり、ずっと連絡はありません」と答えたが、完全に疑われているのが分かった。でも、事実だから仕方がない。私は、あの人がいつ帰ってきてもいいように、いつも夕食の準備をしていた。
誠一 俺はあてもなく、どこだか分からない道を歩いていた。とにかく、一ヶ所にとどまっていたら終わりだ。その一心だった。雨の日も、風の日も、俺は歩き続けた。スマホのバッテリーはとっくに切れたが、居場所を察知されてはいけない俺にとっては、かえって好都合だったともいえる。
伸枝 あの人が何処にいるのか分からないのをいいことに、好き勝手やってもよかったのだけれど、そんな精神的な余裕も金銭的な余裕もなく、私はただひたすら、昼間はパートに行き、夜になるとあの人の分まで夕食を作る生活を繰り返した。警察も繰り返しやってきたが、そのうち私に聞くこともなくなり、決まり切った挨拶みたいな受け答えをするだけだった。
誠一 俺は峠道にさしかかった。だが、上り坂は空腹を抱えた俺にはきつすぎた。もうだめだ、一歩も歩けない。そう思った俺の目の前には、大きな邸宅の門があった。立派な門構えで、相当な金持ちか、土地の名士が住んでいるんだろうと思われた。でも、何でこんな所に?ポツンと一軒家か?その時、背後から、声をかけられた。
初音 あの、どうかされたんですか?
誠一 振り返ると、一人の若い女が、しゃがみ込むようにして俺を見ていた。
初音 どこか、身体がお悪いんですか?
誠一 あ、いえ、そういうわけでは…
初音 でも、とてもお辛そうですよ。
誠一 …お恥ずかしいんですけど、もう何日も、何も食べていないんです。それで、思うように歩けなくて…
初音 そうなんですか。あの、よかったら私の家で休みませんか?ろくなものはありませんが、ちょっとしたものならご用意できます。
誠一 本当ですか?あの、お宅はどちらに…
初音 ここです。
誠一 俺には、断る気力も選択肢もなかった。言われるままに、俺はその立派な門をくぐった。広い庭には、月見草が可憐な花をたくさん咲かせていた。
伸枝 いつまで私は、あの人の分の夕食を作り続けるのだろう。私の作った夕食を食べる人は、いつ帰って来るのだろう。案外、前に飼っていた猫みたいに、どこか他の家で夕食を食べているのかも知れない。警察は、新しい情報を持ってきてはくれない。ただ、私から新しい情報を聞き出そうとするばかり。何だか、しわが増えてきた気がする。
SCENE2
誠一 俺が通された部屋は、俺一人には広すぎるほどの畳敷きの部屋で、立派な床の間があった。やがて、あの女が、お膳に料理を載せたものを持って現れた。
初音 本当に何もございませんが、お口汚しにお召し上がり下さい。
誠一 有り難うございます。急に押しかけるみたいになったのに、こんなに美味しそうなものをたくさん用意していただき、本当に感謝しています。地獄に仏とはこのことだ。
初音 申し遅れました、私、木津初音と申します。
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