ある死刑囚の告白
(N)病院を思わせる、少し薄暗い廊下。
(N)リノリウムの床に固い靴音が響く。
(N)コツ、コツ、コツ
(N)止まった靴音の先には一人の人物が椅子に座り、薄い唇に笑みを浮かべて待っていた。
黒木:やあ。また君か。懲りずにここへ通って…随分と暇なんだね。
黒木:…もう私は明日には死刑になる。やっと解放されるよ
黒木:好きで?好きでこんなところに通う物好きが居るとはねぇ。私だったら死んでもゴメンだよ。
黒木:まぁ、明日には死ぬんだけど。
黒木:…君は変わった人だよ。私と話してもつまらないだろうに。
黒木:でもまぁ折角通いつめてくれた訳だ。今夜が最後なんだから少し話を聞いてくれる?
黒木:私が唯一、愛した人の話を
黒木:ありがとう。
黒木:そうだな、何から話そうかな…
(N)死刑囚は言葉を選ぶ。
(N)頭の中で過去の自分と、その愛した人の記憶を思い返しているのだろう。
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黒木:そう…私たちの出会いはね、高校の頃だ。
黒木:たまたま同じクラスになった。彼女は明るく、聡明で、運動神経も良かった。…バスケ部だった。身長こそは高くないものの、小柄な体を素早く動かしてコートを走り抜ける姿は誰も彼もが目を奪われていた。
黒木:話上手で気さくで…とても素敵な人だった。まともな人づきあいが出来ない私なんかとは大違いさ
(N)死刑囚は、懐かしむように微笑んだ。
(N)初めてそんな顔を見せたのではないだろうか。
黒木:周りの人には内緒だったけど、私たちは趣味で小説を書いていたんだ。ちょっとしたきっかけがあって互いにそれを知って…シンパシーというのかね、仲間意識が芽生えたんだろうさ。
黒木:全くタイプの違う私が彼女と仲良くしてるのを面白く思わない者も居たけど…そんなやっかみなんて私は気にならなかった。彼女が横で笑っていてくれたから…私はそれで満足だった。…楽しかったなぁ
黒木:高校卒業してから私は就職し、彼女は都会の大学に進学したんだ。月に2回、いや多い時で3回か。高速バスや電車を乗り継いで、よく彼女の所に通ったものだ
黒木:彼女は文系の大学でね、結構本格的に書くことに力を入れてたんじゃないかな。私も負けじと、毎日のように原稿用紙に向かっていたよ。互いの友人関係は変化していたけど、私たちの関係は変わらなかった
黒木:高校時代の彼女は完璧な人の印象があったんだけどさ。彼女、料理と片付けが全くダメだったんだよ。知った時は驚いたけど…彼女にも欠点があることが、私には喜びだった。
黒木:欠点だらけでコンプレックスの塊のような私は…完璧に見える彼女に、少し嫉妬していたんだと思う。
黒木:料理が出来なくて、片付けも苦手で…私が顔を出す度に足の踏み場もないほどに散らかった部屋の、唯一無事なベッドの上で空腹を訴えるんだ。
黒木:幸い私は、片付けこそは上手ではないが、料理はできた。夜遅くに彼女と向き合って食べる食事は…私には特別な宝物のような時間だったんだ。そう…もうその頃には彼女の事が好きになっていた。
黒木:心から、愛するようになってた
黒木:つまらない話だろう?
黒木:…そんなことは無い、か。そう言ってくれて嬉しいよ。
黒木:どこまで話したかな…あぁ、そうだ。
黒木:私はね、臆病者だから…自分の想いを伝えるなんてしなかった。良い友人として、彼女の一番の理解者として、そこに私が立っている。その関係を壊したくはなかったのさ。
黒木:彼女が、私から離れてしまうことがとても怖かった。何より、どんなものより彼女を失うことが恐ろしかった。
黒木:それこそ、命より
(N)死刑囚の顔に暗い影が落ちる。
(N)俯いたその表情は窺い知ることが出来ない。
黒木:生活するためには仕事をしなくてはならない。私は真面目に働いたよ。そして彼女から連絡が来ると、週末に向かう。どんなに仕事で疲れていても、彼女が来て欲しいと言った時には必ず向かった。
黒木:本当はずっとそばに居たかった。一緒に暮らせたら幸せだったと思ってたよ。現実的には叶わないとわかっていたけどそれを夢みて物件なんかも探してしまった時期もあったなぁ。
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