きみの名を呼ぶ オリンピックと(朗読)
『きみの名を呼ぶ オリンピックと』
《登場人物》
山口小夜莉
坂本絹代
杉森秀幸
天使(=杉森楓)


SCENE1

舞台には、四脚の椅子。
そこに、女二人と男一人が座る。
端の一脚には誰も座らない。


絹代 その電話がかかってきたのは、一昨年の年の初めだったと記憶している。本当に突然だった。
小夜莉 「もしもし、絹代?久し振りね。元気にしてる?」
絹代 「うん、まあね。お姉さんは?」
小夜莉「あちこちガタはきてるし、物忘れも酷くなってきたけど、何とかやってるわ。あなた、まだ一人なの?」
絹代 「いいじゃない、そんなことはどうでも。」
小夜莉 「よくないわよ。地方でいつまでも一人でいるなんて、老後どうするつもりなの?」
絹代 「私は私で何とかするから、心配しないで。それより、どうしたのよ、急に。何かあったの?」
小夜莉 「うん、何ていうこともないんだけど、あんた、高飛びやってるでしょ。確か、インターハイ出て、準優勝だったよね。オリンピックも目指してたよね。」
絹代 「…うん、まあね。昔の話だけどね。」
小夜莉 「何言ってるの。この前、いい成績出た、この高さを飛べれば、次のオリンピックも見えてくるって言ってたでしょ?」
絹代 「いつの話してるのよ?」私は笑って済ませたけど、何かおかしいと感じた。今思えば、もっと深刻に捉えるべきだったかも知れない。
小夜莉 「来年、東京でオリンピックあるじゃない。縁起でもないけど、もしきぬちゃんが出られなくて、チケットが取れたら、一緒に見に行かない?」
絹代 それは、あまりにも唐突な誘いだった。姉と私は、それまで何十年も会っていなかったからだ。
小夜莉 「急な話でごめんなさいね。ただ、オリンピックが東京に決まった時、急にきぬちゃんのことを思い出してね。誘おうかどうしようか、ずっと迷ってたの。ほら、案外いい線で候補に残ってるかも知れないって思ったから。」
絹代 「…有り難い話だけど、オリンピックのチケットなんて、そんなに簡単に取れるもんじゃないでしょ。それに、そこそこなお値段だし…」
小夜莉 「そうね、高飛びの人気がどの位かっていうのもあるけど、こればかりは、抽選の結果が出るまでは分からないよね。お金のことは心配しないで。」
絹代 「いや、そういうわけには…」
小夜莉 「大丈夫よ。とにかくきぬちゃんが出てるオリンピックを見たいのよ。もしだめでも、一緒に見たいの。ね、いらっしゃいよ、東京に。」
絹代 「…考えとく。」
小夜莉 「いい返事を期待しているわ。それじゃね。」
絹代 電話はそれだけで切れた。姉はいつもそうだ。基本的には自分の言いたいことだけを言って電話を切る。電話だけじゃない。面と向かってだって、姉は自分の言いたいことを投げつけてくる。私の言うことなんて聞いちゃいない。私が婚約者と別れたのだって、元はと言えば姉が原因だ。そのことをすっかり忘れて、私が独り身なのをなじる。そんな姉と、しかも東京で会うなんて、とても気が進まない。私には私の生活がある。それに、姉が今でも私が競技を続けているかのような言い方を何度もしたことも、薄気味悪く感じて、正直、近付きたくなかった。私は放っておくことにした。

SCENE2

小夜莉 「幸夫、もうすぐ絹代おばさんに会えるのよ。もう何年ぶりかしらね。」
秀幸 「そうだな、もう十年以上は会ってないと思う。」
小夜莉 「会いたいでしょ。幸夫は、小さい頃は絹代おばさんによく遊んでもらっていたものね。」
秀幸 「そうだったね。懐かしいな。いろんな所に連れて行ってもらったな。」
小夜莉 「走り高跳びの選手になってからは、練習や試合で忙しいとかで、全然会ってくれなくなっちゃったけど。幸夫も寂しかったでしょう。」
秀幸 「そうだね。」…この人との会話に合わせるのも、だいぶ慣れてきた。それでも、寂しさは消えない。
小夜莉 「もう寝なさい。明日も早いんでしょ。」
秀幸 「うん、そうするよ。母さんも、もう寝たら」
小夜莉 「そうだね。でも、母さんは明日は国に帰らないといけないから、支度を終わらせなきゃ」
秀幸 「そうだったね。じゃ、先に寝るよ。お休みなさい。」
小夜莉 「おやすみ。」
秀幸 仕方なく、僕は寝るふりをする。布団に入っても、眠れるわけがない。あの人と、普通に会話できる日はもう来ないと分かっていても、ついつい求めてしまう。いつ彼女は、「国」に帰るのだろう。帰るべき「国」とは、一体どこなのだろう。そこに、僕の居場所はあるのだろうか。
小夜莉 「秀幸さん、秀幸さん。」
秀幸 「小夜莉!」
小夜莉 「もう、お酒飲むとすぐ寝ちゃうんだから。」
秀幸 「ごめん、ごめん。つい…」
小夜莉 「ねえ、いつ妹と会う?」
秀幸 「そうだな。富山にいるんだっけ?出てきてもらうのも何だから、二人で会いに行こうか?」
小夜莉 「あの子に出てきてもらいましょうよ。秀幸さんにわざわざあんな田舎まで行ってもらうのは、何だか申し訳ないわ。」
秀幸 「いや、僕はいいんだよ。小夜莉さえよければ。」
小夜莉 「私は正直、面倒かな。親ならともかく、妹だよ。」
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