休校中
登場人物
サツキ 高校二年生
サツキの母 看護士
一場 五月一日 金曜日
アパートの、サツキと母親が住む部屋。下手側に扉。中央に床に直接座るタイプのテーブル。箪笥やテレビなどの家具がある。大きめのホワイトボードがかかっている。サツキが幼いころに書いた、両親と自分の姿を描いた絵が貼られている。サツキ、パジャマ姿。テーブルについて座って、母親からの電話を受けている。
サツキ わかったよ。こんな時期なんだから、看護士ががんばらないと。だけど、ずっとうちに帰れていないけど、お母さんこそ、体を壊さないようにね。……うん。……うん。大丈夫だよ、小さい子じゃないんだし。勉強もしてるし。…インスタントラーメンとゆで卵なら作れるし。…うん。わかってるよ! もう、毎日毎日同じことを! ああ、わかってるよ! うん。じゃあ切るから!
サツキ、スマホを操作して電話を切る。深いため息。立ち上がってポットからお湯を注いでコーヒーを淹れて飲む。スマホを操作して、電話をかける。
サツキ ハルミ? いまいい? …元気だった? うん、元気だよ。ええと、今日は何日だったっけ? ……ああ、そうか。学校行ってないから、曜日どころか日付の感覚までなくなっちゃった。うち、日めくりないんだよね…。これからは、ホワイトボードに今日の日付を書くことにするよ。
サツキ、スマホを耳に当てたまま立ち上がって、ホワイトボードに大きく「5/1 金」と書く。座る。
サツキ ねえ、明後日は何の日かわかる? …それは四月だよ。………。憲法記念日だけどそうじゃなくて! わたしは別に憲法マニアじゃないし!
しばらくの間。
サツキ わかった。それじゃあこのクイズは、明後日までの宿題にしておくからね。うん…、いや、カレンダー見てもダメだよ。友達に聞くかなんかしてちょうだい。…ちょっと待って! 休校って言われて、最初はうれしかったけれど、外にも出られないし、出てもどこのお店もやっていないし、歩いてるだけでも、マスクしてないと変な目で見られるし、うちは田舎だから、万が一感染したりしたらアパート追い出されそうだし! 都会の人は無関心、田舎の人は無神経っていうけどほんとだよ! まったく、無神経よりも無関心の方がよっぽどマシだよ! だから卒業したら東京に行きたかったんだけど、ウチじゃあ無理だし。まあ、今は東京の方がヒドイみたいだけと。まあ、十一日になれば学校が始まるし、みんなにも会えるし、それに、タケシにも…。それまでは、タケシに買ってもらったこのオルゴールを聞いて…。
サツキ、オルゴールを手に取る。
サツキ 待って、切らないでお願いだから! じつは、ネットですごく面白い話を見つけてきたんだ。…いや、ホラーじゃないよ。聞くだけ聞いてちょうだい!
サツキ、スマホをテーブルに置いて、人形やぬいぐるみを何体か使って説明を始める。
サツキ むかしむかし、ある国に野蛮な王様がいたの…だからある国だよ。具体的な国名を出したりすると今は面倒だからね。
王様は壮大な円形闘技場をつくった。
円形闘技場ってわかる? ああごめん。とにかくアリーナだと思ってくれればいいよ。
王様の命令に違反したと思われる容疑者は、そこへひきだされるんだ。闘技場の一方の端には、二つのドアがあって、容疑者はそのどちらかの扉をあけなければならないの。
その一方の扉の奥には、ものすごく飢えた虎がひそんでいる。やっぱり、満腹だと襲わない可能性があるからね…。
そしてもう一方の扉の奥には、その国で最も美しい娘が隠れているんだ。
虎の扉を開けた容疑者は、飢えた虎のごはんになってしまうの。
だけど、美女の扉を開けた容疑者は、その瞬間に許されて、彼女を花嫁に迎えることになる。
それが王様の裁判のやり方だった。
…美女の意志? 昔の話だからねえ、そんなもの無視なんじゃないの? …いや、この話の面白さはそこじゃないんだ。……うん。それは、これからしだいだよね。
王様にはとっても愛していた、妙齢の一人娘がいた。だけど彼女は、身分の低い若者と恋におちた。二人は王様の目を盗んで密会をかさねてた。
しかしその秘密が暴露される日が来た。若者は闘技場にひきだされることになった!
照明、ちょっと暗くなる。
サツキ 裁判の当日 闘技場は超満員だった。
「おーい、がんばって女の扉を開けろよー! おれは国一番の美女って奴を見たいんだ」
「王女様とよろしくやりやがって! おまえなんか、虎に食われちまえ!」
勝手なヤジを飛ばしているが、観客はもちろん誰も、どちらの扉の奥に虎がひそんでいるのか知らない。
しかし、この闘技場の観客席でたった一人だけその秘密を知っている者がいた。
若者と恋に落ちた、あの王女である。
彼女はあらゆる手段を駆使して、その秘密を手に入れた。若者の命を守るために!
王女は、恐ろしい虎と美しい娘の両方を、前もって見た!
あの飢えきった虎が、愛する彼を追いまわし、噛みつき、彼が血と涙を流しながら断末魔の悲鳴を上げて殺されていく。
あの鋭い牙が彼の肉体の、あの、二度と見ることのない美しい肌と、肉と骨と内臓と神経をがりがりと削り取っていく。生きたまま食われる。拷問死だ。死ぬことができるまでどれくらいかかるのだろう!
自分はきっと、彼のそんな姿を見ていられないだろう。
だけど、あの娘。透き通るような肌と大きな眼。すっきりと通った鼻筋と、小さなピンク色の唇! 何よりも、あの美しい髪! なんだか、見ているだけで誰もが幸な気持ちになりそうな、そんな美貌だ。
彼が、彼女のものになる! 彼女が、彼のものになる!
そして自分は…、赤の他人になる。彼の、遠い思い出になってしまう。
彼は、美女と結婚しても、この国に住み続けるだろうか。いや、出て行ってしまうのではないか。
彼がひとたびは他の女と結婚しても、いつか自分のもとにかえってくるかもしれないとも思っていた。
だけどそれは、自分に言い聞かせていただけかもしれない。あんなに美しい女を一度でも妻にしたら、生涯手放さないのではないか。
そんなことになるくらいなら、いっそのこと!
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