ヒマワリ畑に辿り着くまで
私は夏の季節になると決まって電車を乗り継いでヒマワリ畑を見に行く。そしてその風景を写真に収めて、プリントアウトしたものを写真立てに入れてリビングに飾る。
それが今年でもう30回……つまり、30年も続けている。
私がこの夏の恒例行事を続ける理由は、昭和62年の出来事がきっかけだった。
その日、妻は体調不良が気になり近所の病院に行ったらしい。
らしい。と言うのは当時私の仕事は研究職で、家に帰るのはいつも夜中だった。
その日も帰宅したのは日付が変わってからだった。
寝ずに待っていた妻は、私の背広をハンガーに掛けながら来週に血液検査の結果を聞きに行くと言っていた。
翌週、また夜中に帰ってきた私に妻は大学病院の紹介状を貰ったと言っていた。私はそんなに体調が良くないのかと、溜まっていた有給を消化して妻に付き添って病院に行った。
私は妻が入った部屋とは別の診察室に呼ばれた。
先生が妻の細胞を少し採取すると言い、検査結果は来週に出るので必ずご夫婦で来てください。っと言った。
私はそれはどういう意味ですか?っと尋ね返した所、先生はガンの可能性が非常に高いと言われた。
そして翌週も私は有給を消費して妻に付き添った。
検査の結果、妻は卵巣ガンだった。
しかも末期で既に別の場所に転移していると。
当時はまだ、本人にガンだと告知することが一般的では無かった。
本人には何も言わず、末期のガン患者には痛み止めだけを処方するのが普通だった。
私は一人、診察室で先生の話を聞いて「出来るだけ普段通りに過ごして下さい。」の言葉を信じて妻に接しようと思った。
それから4ヶ月も立たずに妻は亡くなった。
そうして季節が巡って、三回忌を終えた。
私はようやく家の中を整理する気持ちになれたので、妻の部屋の大掃除を始めた。
雑誌を処分する為に本棚を整理していた時見つけたのが、数冊のノートだった。
それは妻が書いていた日記で、表紙には年号と花の名前が書かれていた。
昭和58年バラ、昭和59年サクラ、昭和60年ツバキ、昭和61年スミレ。
その中で一冊だけ、何も書かれていないノートがあった。
私はそれを手に取り、掃除をするのも忘れて表紙を捲った。
昭和62年1月1日
あの人と朝から近所の神社に初詣に言った。
今年も良い一年になる様にとお願いした。
おせちを食べてから、実家に挨拶に行く。
昭和62年1月2日
朝から電話が掛かってきて、あの人が仕事に行ってしまった。
4日までは休みだと言っていたのに、仕事熱心な人だ。
一人でテレビを見て過ごす。
昭和62年1月7日
七草粥を作ったけれど、あの人は食べ足りないと言うので魚を焼いた。
誰かが食べているのを見ると、こちらもお腹が空いてくる。
たまらず私の分も魚を焼いた。
昭和62年1月8日
昨日はぐっすり眠れなかった。
食欲が無かったので朝食は食べなかった。
昼寝を少しすると元気が出た。
昭和62年1月13日
今日はあの人が珍しく早く帰ってきた。
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