ノイズ
テーブルが一つある。テーブルの上にカセットレコーダーとノート。口の開いたチューハイの缶。女が入ってくる。手にはカセットテープ。
女 これ、いいはずだけど…。
女、カセットをレコーダーにセットして再生してみる。何も録音されていないホワイトノイズ。
女 よし。
女、テープを巻き戻す。なかなか終わらない。
女 あ、途中か。
女、テープを一度取り出し、方向を調べてセットし直し、巻き戻す。何気にノートをめくる。ノートにはボールペンでびっしりと書き込みがしてある。巻き戻し終わると、もう一度少し再生してみる。やはり何も入っていない。
女 よし。…あーあー…ん、んー。
女、のどの調子を整えると、録音を始める。
女 …えーと…。
女、録音を止める。なんだか気持ちが整わなかった。もう一度、ノートを確認する。気持ちを整える。録音を始める。三・二・一。
女 (読む。)…"このテープが再生される頃には、私は、もうこの世にいないと思います。だから、これから私が語る言葉は、全て私の遺言になります。法的に、この遺言に意味があるかどうかはわかりませんが、今ここで死を選んだ私の本当の気持ちをここに記そうと思います。そういうつもりで読んでください。"あ、違う聞いてください。
女、一度録音を止める。少し悩むが、録音を再開する。
女 …一部、おかしいところがあるかもしれませんが、気にしないでください。…えーと…(読む。)“初めに、何故わざわざ、録音なんて方法を選んだかを説明したいと思います。一番の理由は、音と文字では、やはり音の方が人の感覚に直接来ると考えるからです。人間の五感において、生理に近いのは触覚、次に聴覚と、嗅覚と味覚。最後の視覚は最も人間の生理から遠い感覚だと言われています。それは、生理から遠い感覚ほど、大脳新皮質による干渉を受けやすいためです。人の感覚とは、正確には、感覚器による感覚、脳による知覚、そして知覚した内容を分析する統覚という三段階を経ると考えられますが、特に、視覚は、最後の統覚による差異が大きいようです。視覚が特に文化的なものとみなされる所以(ゆえん)でもあります。つまり、多くの芸術、文学であります。では、他の感覚はどうか?もちろん、他の感覚においても文化的とされる部分があります。聴覚は音楽。嗅覚と味覚は食文化であり、また匂い文化とでもいうべきものです。「良い匂い」は、文化圏によって違ってきますが、危機を感じる香り、例えば死臭のようなものは、文化圏に限らず人々に危機感を感じさせます。これは、生理に近い証拠であります。このように見ていけば、触覚が一番生理に近いのは、判断を待たないものであろうと思います。さて、以上の理由から、私は視覚より聴覚に訴える録音という方法を選びました。”…ええと、ぶっちゃけ、やりたかったからです。
女、ノートをめくる。
女 ここのこれです。(読む。)“私は、ボウイ様好きです。ボウイ様とは、エキセントリック少年でもビジュアル系バンドでもありません。デビッド・ボウイ様です。うら若き中学生の頃、私は「ラビリンス」という映画を見ました。それは、デビッド・ボウイ様が美形の魔術師をやっている映画でした。元々、ファンタジーが好きでした。小学六年で「ホビットの冒険」に出会い、中学一年の頃わけわからないまま、必死になって「指輪物語」を読んで感動しました。「ラビリンス」は「指輪物語」に比べればずっと軟派な作品だったと思います。でもその中には、ファンタジー作品に不可欠な“夢”がしっかりと描かれていたと私は考えます。「ラビリンス」に描かれた“夢”とは、すなわち、少女の夢です。それは、かつては少女漫画で描かれることの多かったテーマでもありますが、ちょっと夢見がちな、でもごく普通の少女が、物凄い力を持つ魔術師によって狙われ、求められ、愛され、全てを与えれれ、でも、自由を、すなわち所有物としてではなく、一人の人間としてあることを願って、それらを捨てる。少女の時代に誰しもが一度は思い描く夢です。シンデレラコンプレックスとも違います。シンデレラコンプレックスが、自分を愛し庇護する王子様による幸せを盲目に求めるのに対し、この夢とは、それを確信しながらもそれを捨て、自らを以って由来と為す。すなわち本当の意味での“自由”を求める欲求であります。”…あれ?
女、録音を止める。少し考える。こんなことじゃなかった。ノートをめくる。
女 あれー…。あ。
女、録音を再開する。
女 えーと、話がずれました。“私は、ブームになっている作品に対し、無意識に反発を覚えてしまうほうです。”違う。ここじゃない。“その行動に対し、なんとも言えない美しさを感じたのは、私の”違う。ここでもない。…えーと…“ボウイ様が出演しているその映画の中で私が一番面白いと感じたのは、その捜査官が”…(ノートをめくり捜査官の名前を探す。見つからない。)名前はわからないんですが。…“その捜査官が、ことあるごとに行う行動でした。…彼は、何かを見つける度に、そして朝な夕なに、カセットレコーダにそのときの状況をありのままに語るのでした。それも、ただ語るのではありません。それは、明らかに誰かに向けたメッセージでした。それも、愛する人に向けてのメッセージでした。”
女、一瞬、言い淀む。
女 “語るということは、すなわち愛する人へのメッセージ。それは世界の原則といって良いものだと私は考えます。口から漏れるメッセージは、すなわち愛する者へのメッセージなのです。…その行動に対し、なんとも言えない美しさを感じたのは、私が、それを願っているからかもしれません。”…えーと、カセットに遺言を残そうと思ったのはこの記憶があるからかな。…なんか、ミーハーだなぁー。…いいか、誰も覚えてないし。…愛する人…ね。…あ。
女、録音を止め、しばし。しかし、すぐに録音を再生する。
女 えー…。
女、録音を止める。少し考える。何を読もう。ノートをめくる。
女 補足しておきます。“ボウイ様に幻滅したのは、「ラビリンス」の後に見た映画でした。その映画…タイトルは忘れましたが、その映画の中でボウイ様は、銀色の全身タイツで宇宙人と言い張っていました。その姿が、あまりにも格好悪くて、見ていて切なく、悲しくなりました。銀色の全身タイツによって、この世ならざるものを表現するという手法は、けして物珍しい方法ではありません。例えば、これも小さい頃に見たドラマですが、石坂浩二主演のドラマ「俺は御先祖様」において、主人公の孫を名乗る未来人をマリアンが演じましたが、彼女も銀色全身タイツでした。この場合、未来人であるということを銀色全身タイツによって表現していたわけです。あえて、過去に目を向けますと、この、普通ならざるものを表現する時に、外見の異様さを以ってする手法は古代の神話から延々とつながる方法であることがわかります。例えば、正史でない資料では、かの三国の劉備は竜の特徴を兼ね備えていたと言われています。これは、中国の皇帝がイコール竜として捉えられていた、そして劉備がその正統の後継者であると考えられていたせいでしょう。こういった例に頼らずとも、例えば、ひげ面やスキンヘッドが異形の者とされた歴史をかんがみれば、否、もっと卑近な例で言えば、Gメン75における香港マフィアの用心棒がボディビル選手のように筋骨隆々であるということも、結局のところ、外見によってそれが普通ならざるものであるということを表現していた良い例であるといえるでしょう。”…あれー?
女、録音を止める。チュウハイを一口。しばし。もう一口。
女 …なんで、こんなに理屈っぽいんだろう。
女、ノートをしばしめくり、読む。屁理屈ばっかりだ。ため息。録音を始める。
女 …“私は、高校時代を灰色の中で暮らしました。毎日毎日ルーチンワークのような生活でした。同じ時刻に同じバス停から同じバスに同じ時間揺られ、同じバス停から同じルートで同じ学校に行き、同じ時間に同じ時間をかけて家へ帰る。死にたくなる程悔しいことも無ければ、天に上るような幸せも無く、壁を乗り越えた者にのみ許された達成感を感じることも無く、ただ日を夜に、夜を日に次いで過ごすのみの日々を送りました。わたしは、文芸部に所属しました。しかし、それとても、なんの意味も持たなかったと思います。文学とは、文芸とは、真の生命の意味を探り出す行為であります。でも、私がやっていたのは、そんなこととは程遠いものでした。何も感じず、何も考えず、何も見ず、聞かず、心を震わせることも無い日々とは、結局のところシビトの日々に他なりません。生きながらに死んでいる日々の中で、私のやったことは、年に一回の文集作成の時に、百枚の原稿を約束しながら百行にも満たないあらすじで誤魔化し、一大叙事詩を歌いながら、愚にもつかないポエムでお茶を濁すことでした。”あー!!あれ!!(昔書いた極めて恥ずかしいポエムを思い出してしまった。)…あれ、残るのかー。…うー。リセットしてー。人生のリセットボタンどこよ。あー、もー…。あ、あれ!あれはっと…えーと…ここじゃなくて…どこだっけー、あれー??。
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