僕の人生
―それを誰も知らない―
僕は至って普通の人間だったと思う。
父親は会社員でたまに残業もあるけど夕食時には帰ってくる。母親はスーパーのレジ打ちパートでそのまま買い物をして夕方には帰ってくる。
僕は一人っ子だったけど普通に友達も居たからゲーセンで遊んだり、バーガー片手にみんなで必死にレポート書いたり。まぁ、それなりに学生というものを楽しんでいたと思う。
就活は大変だったけど内定も貰えた。その時は僕よりも母親の方が喜んでいて、父親は高い酒を買ってきてくれたのをよく覚えている。
卒業と同時に家を出て一人暮らしを始めた。全てが自由な反面、料理も洗濯も本当に面倒臭くて、ここで初めて母親が毎日してくれていた事に感謝したものだ。
働き出して思った事は仕事は大変だって事。覚える事が多いし、理不尽なクレームも少なくなくて何度辞めてやろうかと思ったかは分からない。それでも辞めなかったのは大事な彼女との結婚を真剣に考えていたからだ。
彼女の明るくて前向きな性格は、いつしか僕にとってなくてはならない存在になっていた。だからプロポーズを受けてくれた時は何があっても絶対に幸せにしようと心に決めた。
彼女の両親に挨拶もして、二人だけの結婚式を小さなチャペルで挙げた。彼女のドレス姿は本当に綺麗で、幸せそうに笑う彼女を見て僕はこれが幸せというものかと実感したものだ。
新居は普通のアパートだったけど、僕の奥さんは子供が生まれたらマンションが欲しいね。なんて楽しそうに笑ってたのをよく覚えている。
そんな事があったと、ふと思い出して病室のベットに居る奥さんに話掛けた。奥さんはよく覚えてるのね。って、また笑っていた。でもあまり嬉しそうじゃなかった。
それはそうだ。何せ出産予定日を十日過ぎても陣痛が来ないのが不安で仕方無いらしい。僕は僕達の子供ならきっと大丈夫だと奥さんによく言っていた。
子供が生まれてからは子供中心の生活になった。
僕も奥さんも初めての子育てに苦労したけれど、それでも毎日が楽しかった。
普通の大学を出て、会社員として生き、彼女が出来て、結婚して、子供が出来て。
マンションを買おうかなんて僕達なりに目標も立てて、普通だったけど確かに幸せがそこにはあったんだ。
平凡な生活だけど、僕はこの生活に満足していた。
ある朝、目が覚めると家がいやに静かだった。
起きてみると奥さんも子供もどこにも居なくて、僕の知らない内に子供が熱を出して病院に行ったんじゃないかと思って何度も奥さんに電話を掛けた。けれど繋がらなくて、僕はもうパニックになって僕の両親に電話した。
奥さんと子供が家に居ないんだ!何度電話しても繋がらないし、こんな事今まで一度だってなかったのに!もしかしたら何か事件に巻き込まれたのかも知れない!
両親は血相を変えて急いで来てくれた。
僕は今朝起きた事を両親に事細かに説明した。そうすると両親は神妙な面持ちで僕をとある病院に連れていった。
受付で名前を呼ばれると両親は無言で僕を診察室に押し込んだ。
僕は奥さんがこの病院に居るのかと思っていたが、両親は医者に僕がおかしいと伝えた。
僕がおかしい?何を言っているのか意味が分からなかったけれど、両親は必死に僕がおかしくなっていると医者に説明していた。
だから僕は医者に言った。こんな所で悠長に油を売っている場合では無いと。直ぐにでも警察に電話して奥さんと子供を捜さなくてはならないんだと。
焦る僕とは対照的に医者は淡々と僕に質問をしてきた。
子供は何歳か?奥さんの名前は?奥さんの職業は?自分の会社名は?家の住所は?両親の名前は?貴方の名前は?
それからも医者は意味の分からない質問を繰り返し続けた。焦りと苛々で限界だったけど、この質問に何か意味があるならと僕は丁寧に医者の質問に答えた。
医者の声と僕の声の他に、僕の横に座っていた母親のすすり泣く声が聞こえるだけの異様な空間に、僕は夢でも見ているんじゃないかとすら思えた。
そして医者は僕の症状と非常に似ている病名があると言った。
それは統合失調症の陽性症状というらしい。ただ一般的に多く見られる症状は「誰かに命を狙われている」や「殺してやると聞こえる」等のある種の被害妄想で僕の様なケースは珍しいと言われた。
見えないものが見える幻視。聞こえない声が聞こえる幻聴。
だから僕が病気?
何て馬鹿馬鹿しい。僕の奥さんと子供が幻視?幻聴?僕の家族を侮辱するのも大概にしろと反論した。しかし父親が言うには子供所か結婚すらしていないらしい。
僕は思った。両親も奥さんも僕の事を騙しているに違いないと。
僕が困り果てた所で奥さんが子供を抱いて登場して驚かすつもりなんだと。そう思っていた。
けれど僕の想像を裏切る様に、奥さんと子供は僕の前に現れなかった。
両親は診断書を持って僕の会社に行き、僕は仕事を辞めて実家に帰る事になった。
アパートすら解約されてしまったのに、それでも奥さんと子供は戻って来なかった。
僕は実家に戻っても毎日両親に説明していた。
子供が熱を出して会社を休んで病院に連れて行った事も、出産予定日より十日も遅れて奥さんが不安がってた事も、新居の家具を決めるのにケンカした事も、二人だけの結婚式をした事も、プロポーズした場所も、初めてのデートでドライブに行った事も。
子供が行った病院の間取りも、先生の名前も。結婚式場の担当者の名前も。スラスラ言葉に出てくるのに、病院の診察券も式場の担当者の名刺も僕のアパートからは見付からなかった。
スマホを調べても子供や奥さんの写真は全く残って無くて、通話履歴も一切無かった。
まるで何も無かったかのように。
全部、偽物だったのか?
なら一体、僕の人生は何処からが現実で、何処からが偽物なのか?
僕は段々と自分の人生が分からなくなっていって……自分の事を話すのを止めた。
自分の事を話すのを止めると両親の表情は日に日に明るくなっていった。
ある日父親は高い酒を買って帰ってきた。自分の病気が落ち着いてきているお祝いだと言って。
そう言われると聞けなかった。前にも高い酒を買ってきてくれた事があるか?っと。
あの時は内定のお祝いだった。けれど、それが現実かどうかも自分ではもう判断出来なくなってしまっている。
喜ぶ両親を悲しませるのが怖くて、笑顔でありがとうと感謝を述べるしかなかった。
自分の人生は確かにあったはずなのに。……それを誰も知らない��
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