KAYA
〜温羅の伝説 0.95β
『KAYA-温羅の伝説-』 0.95β
【原案】乙倉俊
【戯曲】白神貴士
【登場人物】(兼ねる事も可能)
温羅(吉備の冠者)
秋鹿
阿曽媛
五十狭芹彦(吉備津彦)
吾田媛
秦の蔵人
楽々森舎人
犬飼命
留玉臣
百襲媛
阿曾女
ヤマトの兵たち
農奴たち
たたら吹きの工人たち
加夜の人々
山犬(大神)
大猿(ハヌマーン)
巨鳥(ガルーダ)
________________________
【第○場】アゾメ-阿曾女
阿曾女、進み出て観客席に頭を下げる。
阿曾女
「私は、御釜殿で温羅様に仕えております阿曾女でございます。
湯を沸かして温羅様の唸り声が聞こえるか聞こえぬかで吉凶を占っております。
温羅と申しますのは鬼でございます。
その昔、あちらの方の山の上にある鬼ノ城、おにのしろと呼ばれる山城におったといわれている鬼でございます。
その頃は、この辺りまで『吉備の穴海』と呼ばれる海があったそうで倉敷なんかもほとんど海の中だったそうです。
ここ、吉備の地で御伽噺「桃太郎」の源流とされているのが『温羅』の伝説でございます。
この物語は室町時代の成立と推定される『鬼城縁起』に始まり、幕末期の『吉備津宮縁起』に至るまで六つの資料が残っておりますが、
実はそれぞれ様々に違っているのでございます。鬼の正体ひとつとっても「天竺(インド)から来た鬼神『剛伽夜叉(ゴウキャヤシャ)』」、
「日本侵略に来た新羅国王『(吉備津の)冠者(カジャ))』」、「大唐の白斉国皇帝だった『吉備津冠者(キビツノカシャ)』」、
「百済の王『温羅』」、「百済の皇子『温羅』」と変化し…その最後も、首を斬られ退治されたとする『鬼城縁起』以外は
降参して吉備津彦の家臣、吉備の守護神となり、180歳まで生きたとする資料もございます。
果たして温羅の正体は何だったのでしょう?
吉備津彦はなんと281歳まで永らえたと書いてあるのは本当でしょうか?
古代出雲とは、ヤマトとは、都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)、百襲媛、たたら製鉄…そしてKAYAとは?
いつしか、そんな事ばかりが頭の中を巡りはじめ、夜ごと夢の中に、角がある大男が現れるようになりました。
その男はまん丸な目をぎらぎらと光らせながら…私に向かって、『温羅』と名乗ったのでございます…」
1/12
面白いと思ったら、続きは全文ダウンロードで!
御利用機種
Windows
Macintosh
E-mail
E-mail送付希望の方は、アドレス御記入ください。