H-999

登場人物

戸塚光(トツカヒカル)
佐々木紋次郎(ササキモンジロウ)
大石樹生(オオイシミキオ)





      〜幕〜

        1人の少年が現れる。どこか不安げな消え入りそうな表情でたたずんでいる。
        少年の名前は「戸塚光」。光は伏せていた瞳を静かにあげる。その瞳は何かを求めるように宙を彷徨う。

光     僕には、過去がない。いや、あるのだけれど覚えていない。忘れる、というよりも記憶が消えているんだ。昨日が、わからない。
      昨日という日があったのかどうかもわからない。でも生物学的に僕という人間が今この姿で存在するにはきっとそれ相応の時間が
      あったはずだから、きっと昨日もその前もあったんだと思う。でも、僕は知らない。昨日の僕を知らない。

        光を闇が覆っていく。闇に身を任せ消えていく光。
        入れ替わる様に一人の男が現れる。白衣を身にまとったその男は静かに口を開く。

男     記憶とは、その時その場面を大雑把に記録する人間が生まれながらに持つ一つの能力と言えます。しかし、精密機械でない我々の
      脳はそれらを正確に記録し続けることはできません。それ故に生じる所謂物忘れは誰しもが経験したことがおありでしょう。記憶
      は記録ではありません。曖昧な過去の残像なのです。今教科書にある歴史も、元を知る人はいません。それ故に、曖昧なのです。
      人類の誕生も、繰り返された戦争の爪痕も。まぁ、そんな大事でなくとも、例えば昨日の夕飯の内容、覚えていますか?私はいつ
      もわからなくなる。はて、何だったか…?そんなものです。

        男、肩をすくめて見せ、闇に溶けていく。
        暗転


        溶明
        とある小さな診療所。そこが診療所なのかどうかも疑いたくなるような雑然とした部屋。
        そこへ光登場。辺りをキョロキョロと伺っている。

光     あの…、すみません。どなたかいらっしゃいませんか?
紋次郎   何だ何だ、何度こられても金はないぞ…っておや?君は…

        白衣の男登場。佐々木紋次郎、一瞬驚愕の表情

光     あ、あの、佐々木紋次郎先生ですか?
紋次郎   い、いかにも、私は佐々木紋次郎だが。…君は…いや、君はいったい誰だ?
光     僕、戸塚光って言います。あの、大石先生から紹介を受けて先生に診ていただこうと思いまして…
紋次郎   何?大石から?…そうか、なるほど。
光     あの…診察していただけますか?
紋次郎   …もちろんだ。さ、そこへ座りなさい。

        光と紋次郎、向かい合って座る。

紋次郎   で?いったいどんな症状なのかね?
光     はい。あの…実は僕…記憶がないんです…
紋次郎   ほう。
光     昔のことが、わからないんです。昔というより、昨日のことでさえも覚えていないんです。記憶がすっぱり切り落とされたみたいに。
      まるで、昨日って言う日なんかなかったみたいに。
紋次郎   ふむ…
光     でも、不思議なことに自分や周りの人のことはわかるんです。友達の名前や顔とか…。家の場所もわかるし。なのに時間的なものが
      一切わからない。夜眠って、朝目が覚めると昨日自分が何をしてたのかわからないんです。
紋次郎   君の行動を他の人に聞いてみたことは?
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