君の言葉で目が覚める (35分)
# また感覚を失った。長く長くひたすらに終わりのない時間が続いた。自分が目覚め
  ないでいる間に科学や医学が進歩して、不老不死とまでは行かずとも人間の寿命が
  延びたのではないか。既に数百年もしくは数千年が過ぎているのではないか。いや
  いっそ自分以外の生物は全て死に絶えたのではないか。自分の思い通りにならない
  自分の体と、精神はもう完全に乖離して別の場所にあるのではないだろうか。そん
  な想像を巡らせながら、深い孤独を漂った。

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   回想(自宅)。

@ もう辞めちゃってもいいんじゃないの?
# そんな訳にはいかないだろ!

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   病室。

# ああ、またあの時を思い出した。俺がアイツに声を荒げたのはあの時が最初で最後
  だった。俺は一番見失ってはいけないものを見失っていた。元は他人として出会っ
  た相手と同じ時間を過ごせるのがどれだけ奇跡的な確率だったのか。何も言わず側
  にいてくれるのがどれだけ特別だったのか。満足な生活をさせてやれずにいる俺を
  それでも信頼してくれるのをどれだけ感謝すべきだったのか。小さな積み重ねを当
  たり前のものと思っていた。長い時間の中で少しずつ麻痺していたんだ。本当は言
  葉にして伝えなければいけなかったのが今では痛いほど分かる。痛いほど…。皮肉
  な話だ。今の俺の体には痛いという感覚がない。この思いを言葉にするにも、声を
  発する為に口を動かす事も出来ない。俺は、植物状態でもう何年も寝たきりになっ
  ている。俺の体は自力では微塵にも動かせない。目覚めて日常を取り戻す術もなけ
  れば、現状に絶望して自分で死ぬ術もない。こんな状態でも体調の良し悪しがある
  のか、極まれに右手の感触だけ僅かに取り戻せている様な時がある。それも感覚で
  しかないから確信とは言えないし、本当に僅かだ。その時、誰かが俺の手を握って
  くれている様な気がする。その手は肌荒れを起こしているのか、俺の皮膚に引っ掛
  かる感触がある。痛覚は取り戻せていないから、互いの手の擦れ合い具合から察し
  たに過ぎない。手を…。エリナと初めて手を繋いだのは…。

■■■
   回想(自室〜改札)。

# 改札の前。付き合い始めて割とすぐの頃だったから、冬だ。初めてエリナが俺の部
  屋に来た日。俺は今日こそキスしてやるぞなんてその日は朝から一人で勝手に意気
  込んでいた。そして万が一の場合にも備えて、迎えに行く前に風呂に入って身を清
  めた。部屋のティッシュ箱も新しいものを配置しておいた。そして結局その万が一
  はなかったどころかキスも出来ず、ずっとそればかりを考えていたから落ち着いて
  会話を楽しむ間もなく夜になった。エリナは電車に乗って帰らなくてはいけない。
  俺達は地方都市に住んでいたから一駅でも相当遠くなる。終電でなくとも、エリナ
  の家は駅から自転車で相当かかる。帰り道は遅くならないほうがいい。俺がエリナ
  を遅く帰す奴だと家族に思われるのも得策ではない。だから終電まで二時間以上も
  ある早いタイミングでエリナを駅まで送った。その間に何の話をしたのかは覚えて
  いない。駅まで歩く道がもっと長くなればいいのにと思ったのは覚えている。駅の
  入り口に着いて、エリナが定期を手にして、改札の前まで来て
@ じゃあね。
# 俺はエリナの手を掴んだ。そしてそのまま二人で終電までその場に佇んでいた。そ
  の間、会話は全くなかった。繋いだ手から伝うものが全てだった。たまに俺が軽く
  握ってみるとエリナが握り返してきて、連続で二回握ればエリナも同じ様に二回握
  り返してくる。そんな、手と手を使ったモールス信号の様な伝達手段だった。電車
  が到着する度に俺達の周りには急激な人波の流れが出来て、それでも俺達の手はど
  ちらかが離そうとしなければ離れない。エリナを帰らせなければいけないと思いつ
  つ、俺はその二時間を幸せに満たされていた。それと同時に、その気持ちを抱いて
  いるのがもし俺だけだったらという不安。そしてエリナが詰まらなそうな顔をして
  いたらどうしようという恐怖から、エリナの顔もろくに見られないまま。いよいよ
  終電が近付いた時、
@ 行くね。
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