犬の舌 (30分)
    舞台上は多様な小道具などが散乱した状態。
    上手から猫背気味の自分が入場。

自分 あ、どうも。ちょっと説明しておきますね。別にちゃんと全部覚えとかなくても
   大丈夫です。今から自分と家族の話をするんですけど、先に断っておくと、舞台
   上に出て来るのは役者なので本人じゃないです。本人じゃない時点でもう誰が演
   じても一緒って言うか、記号みたいなもんだと思ってもらえると助かります。似
   てないし、似せる気もあんまりないです。じゃあ、紹介します。

    姉、下手から入場。

自分 まず、姉です。自分とは十一歳離れています。本当は今年で四十一歳です。母の
   連れ子だったので、自分の父とは他人です。母が父と一緒になるまでは、母の兄
   つまりは叔父さんと、母の母つまりはお祖母さんと、母の兄の娘つまりは従姉妹
   と暮らしていたらしく、母の兄である叔父さんをパパ、血縁のない自分の父をオ
   ヤジと呼んでいて、自分は姉が母と母の兄の近親相姦で生まれたのかと結構真剣
   に悩んだ時期があります。姉が高校生の頃に夜遅く帰って来て毎日昼まで寝てい
   たので、自分は高校は好きな時だけばいい学校なんだと思っていました。その後
   に姉が一人暮らしをするアパートに行った時、鉄製のドアに拳の跡が付いている
   のを見ました。当時の彼氏と何かあったんだと思います。今回は誘っていないの
   で客席にはいないと思います。脚本を書いて上演までに考えが変わって自分から
   呼んでるかもしれないけど、呼ばなければまず姉自身でネット検索して観に来て
   はいないはずです。 次に母です。

    母、下手から入場。

自分 これも役者なので年齢は偽っています。他界した時は享年五十一歳だった気がし
   ます。料理のレパートリーがあまり多くなくて、好き嫌いの激しい自分は迷惑を
   かけたと思います。自分は鶏肉料理が出ると皮の部分だけ食べて身を残す子ども
   でした。あの身は母が食べていたのか、それとも捨てていたのか。覚えていませ
   ん。一人暮らしを始めてから母の作っていたカレーを自分で再現してみようとし
   ましたが、違う味になりました。母のカレーを最後に食べて十年以上経っていた
   から、まず味覚の記憶が誤っていたのかもしれないし、使った鍋の質や大きさの
   違いかもしれないし、バーモントカレー自体がリニューアルされたのかもしれま
   せん。分かりません。

    父、下手から入場。

自分 父です。今年で六十…七歳かな? 昭和十九年生まれ。母とはお見合い結婚で、
   その前に二回離婚しています。一度目は半年、二度目は一ヶ月で終わったそうで
   す。理由は知りません。父は見栄っ張りで、嘘を吐きます。知ったか振りで適当
   に話をするから、後から相手に聞いた話と違うって言われます。そういう時にす
   ぐ口にしたのは、
父  オレ知らね。
自分 大人気ない人です。中卒なのがコンプレックスだったからせめて人に何かで勝ち
   たかったのか、昔は地位のある家系だったというのを事ある毎に口にしました。
   栃木から茨城に移り住んで自身のほうこそ余所者で身分を弁えるべきなのに、
父  先祖を辿ればこの辺の奴らはみんなウチより身分が下なんだ。
自分 他に父がよく言っていたのは
父  人に優しくしとけば、見返りがあるんだ。
自分 いつか自分が報われるとか、もっと言い方があるだろうに。父はその言葉を実行
   して、他人から娘の修学旅行の費用が必要と言われて七万渡して返してもらえな
   かったりしました。勤め先の社長の息子さんが小学生の内に亡くなった時には、
父  あいつはろくな事をしてなかったから、罰が当たって子どもが死んだんだ。
自分 当時同じ小学生くらいだった自分が、その言い方はないと非難しました。まずそ
   の理屈が通るなら、お前の息子のオレだって死ぬじゃないか。父の話をこんなに
   長くするのは本望ではありません。終わります。

    下手から犬のぬいぐるみが飛んでくる。

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