軽薄ですか(笑)
うう…ん。あのラストの二人が笑い合うシーンを遠藤の軽薄さと、取られては言い返す言葉はありませんね(笑)。人それぞれに感じることはその人にとって正しいと思えますから、グッキーさんが感じ取ったことに、あえて反発する気持ちはありません。
シチュエーションを変えて、劇団員のメンバーから、同様の質問がきたら作家として、演出としてどう説明するか。という視点からお話すると、以下の様になります。
まず、あのラストで二人が笑い合うシーンについて、なぜ遠藤が素直に笑えるのか。
それは、素直に”さおり”に会いたいと思ったから。かたくなに殻に閉じこもり脚本を書き続ける遠藤が、最後の方で”さおり”に心を開きます。二人が分かり合えたという時間を作っています。その後で”さおり”の正体を知り、そして、これから”さおり”と過ごす自分の人生があるとしたときに、素直に喜んだのではないでしょうか。その時、もしくは物語の中での遠藤は、”別れ”を強く意識はしていないのです。遠藤という男は、少なからず少年のような純粋さをもっている(はっきり言えば単純)様な男として描いているつもりです。そんな彼が、”さおり”の手紙で明示された自らの未来に対して、あのラストのわずかな時間で深く洞察することは、かえって不自然であり、くどくなると思いました。遠藤自身が、自らの生き方を深く考えていくのは、あのラスト以降の話しだと思っています。
又、なぜにハッピーエンドと思ったのでしょうか?笑うからでしょうか?演出によって色々な笑いはあると思います。そして、ハッピーエンドにはならない様な感覚で捕らえていたようですが、自分的には、遠藤は、自らの才能の無さを自覚している場面をつくっています。だとしたら、彼自身が改心する余地は十分にあることの含みは持たせたつもりです。
その反面、映画関係者の来訪という設定を埋め込むことで、遠藤自身が作家として大成していく未来もありかな。と伏線もはりました。
又、あのラストには、花*花の「さよなら大好きな人」のインストルメンタルを流しました。それは、自分の意図するところですが、それは必ずしも「別れの未来」を暗示するものではありません。手紙を書いたさおりとの別れとの解釈も出来ます。それはこれから出会うさおりとの幸せな人生があるから。という意味です。しかし、そのまま素直に「別れ」の意味とも取れる。と思っています。
ってな感じですか。色々書きましたが、どう受け止めるかは読み手、お客さんによります、ただ遠藤の人生がそれぞれの自分の生き方とダブル、そんな物語にしたつもりです。
この作品は自分的には2週間で書いた佳作です。しかし、最低限、脚本として恥ずかしくない物を書いたという自負はあります。ですのでこういう場でもきっちりと書かせてもらいました。
なんちゃって。こういうバトルは楽しいですね。
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