カゴメのトリは


    〈登場人物〉

     某(女)
     先生(男)
     波並(女)
     南(女)
     二股(男)
     東(女)
     田中(男)





      暗転幕前、某が立っている。
      スポットライト。

某   夏の日差しが突き刺すようにまぶしかった。あたりには、セミの声が、けたたましく響いていた。世界中が、まるで盛りのついた猫のように、節電、節電と騒いでいたが、私は、それをあざ笑うように、クーラーのリモコンを二十度にセットして、アルミサッシを閉め切り、分厚いカーテンを閉じ、そして、やはり分厚い毛布にくるまって、ベッドに横たわった。そこには、もう猥雑な夏の光も淫乱なセミの声もなく、あるいは、そこには昼も夜もなく、私だけの約束された時間が静かに漂うばかりだった。
いつの間にかまどろみに落ちた私は、夢を見た。夢の中で微笑む私は、どこまでもどこまでも限りなく白くて、壊れてしまいそうだった。しかし、夢から覚めた私の頬には、一筋の涙が流れていた。ぼんやりとする意識の片隅で、私はとても寂しかった。
次の日も夢を見た。その次の日も、また同じ夢を見ては、涙を流していた。そんな日が幾日続いただろうか。私は、ある日、目覚まし時計の力を借りて、強引に夢を絶ちきることをたくらんだ。激しいベルの響きと共に、私は唐突に目を覚ました。目を開けると、そこには夢の中の私がいた。私と私は、黙ったままで、見つめ合っていた。
沈黙がしばらく流れた。そうして、私は、唐突に全てを理解した。私と、私を見つめるもう一人の私は、髪を少しなで上げ、少し口角をあげて、おそらくうり二つの顔で微笑み合っていた。

      暗転幕飛ぶ。
      イスに先生が座っている。何かを考えている様子。

先生  ‥‥うん。‥‥訳が分からない。
某   え。
先生  だから、何ともさっぱりわからない。意味不明。
某   ‥‥だから。
先生  確かに言われたよ。そう言われたけれど、「どうせわからないでしょう?」って言われたら、何とかしてわかってやろうって思うのが、何て言うか、ほら、あれだよ。
某   プロ意識? プライド? 沽券?
先生  うーん、ちょっと違う気もするけど、まあ、今日はそのへんのやつで許しておいてやろうか。
某   許しておいてやろうかって‥‥。
先生  まあ、言葉の綾だよ。
某   言葉の綾って‥‥。
先生  そんなに細かいことにイチイチこだわってたら、キミ、病気になっちゃうよ。
某   だから、病気じゃないかって、言ってるんじゃないですか!‥‥私、ドッペルゲンガーじゃないでしょうか?
先生  ドッペルゲンガー? ‥‥ドッペルゲンガーとは大きく出たね。‥‥最近は、素人が生半可な医学用語を安易に使いたがるのは困った傾向だよ。精神病患者に特にその傾向が顕著だ。
某   だから、私は、精神病じゃないかと‥‥。
先生  だからね、病気かどうかは私が決めるの。素人が本とかググったりして安易に判断したりしちゃいけないの。わかる? 「家庭の医学」で病気がわかるんだったら、大半の人はとっくに胃癌か肝臓癌だよ。病気というのはね、ちゃんと専門家に診てもらってだね‥‥
某   だから、ここに来てるんじゃないですか。
先生  ああ‥‥そういう言い方もできるね。
某   言い方の問題じゃないです。
先生  もう‥‥ああ言えば、こう言う。
某   だから、早く教えて下さいよ。私は、ドッペルゲンガーじゃないんですか?
先生  ドッペルゲンガーじゃないな。‥‥たぶん。
某   たぶんって‥‥。
先生  じゃあ、ドッペルゲンガーじゃない!
某   ‥‥どうしてそう言えるんですか?
先生  まあ‥‥ほら、あれだよ。
某   あれ?
先生  勘だよ。直感。
某   直感って‥‥そんな‥‥。
先生  キミ、直感をバカにしちゃいけないよ。勘なんて、非科学的だなんて言う奴もいるけどね、長年の経験、知識がだね、この脳に蓄積されてだよ、それが複雑統合的にコラボレーションされた結果が、直感とも言えるんだ。わかるかい?
某   よくわからないけど、それはいいです。‥‥それじゃ、何なんですか?
先生  ん? 何が?
某   だから、私の病気ですよ。
先生  ああ、それね。‥‥それだったら簡単だ。さっきも言っただろう? ‥‥わからない。
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