なんとなく憂鬱で退屈で寂しくて窓から外を眺めていたあの日の人たち
なんとなく憂鬱で退屈で寂しくて窓から外を眺めていたあの日の人たち


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「暗澹と陰鬱を足して2で割ったような私のこころは、
 零(ゼロ)と∞(無限)に収束しながらも霧散していき、
 ゆっくりと疲弊していっているのである。」


 / 旅のひとりゴト

 【私】は電車の中から外を眺めている。


「車窓から外の景色を眺めた。
紅葉に彩られた山と山の谷間。その下を流れる川。その上に掛かった、橋。
なんとなくその風景を絵に描きたくなった。
とは言うものの、私には美的感覚という物がほとんど無く、さらには絵心という物がそれ以上に皆無であった。
この風景を【誰か】に描いてもらいたいなあ、なんて思っていると、電車はトンネルへと入った。
 今は親戚の家から帰る途中。電車の中。ついでに山の中。
電車の一人旅っていうのは退屈で仕様がないけれど、ゆっくりと本を読む時間を得られたと思えば悪くない。
私にもう少し語彙力があれば、窓から見えた絵を形容する言葉も見付かるのだろうが、如何せん拙い単語を脳内で組み立てる気力もない。
 しかも重要なのは景色の内容を伝える事ではない。
私が景色を見て「綺麗」だと思った事がである。
 私だって自然を見て美しいと思う心くらい持ち合わせている。
しかし、それをわざわざ足を運んでまで観たいかと言うと、答えは否だ。
 私は旅行という物が好きではない。面倒なのだ。外に出るのが。
いわゆる引きこもりって奴だ。
 と、いろいろ考えていると、トンネルを抜けた。
 先ほどの風景のことは忘れた。しまった、多少なりにも言語として残しておくべきだった。
 そういえば、昨日見た銀杏の木も綺麗だったなあ。
空の青を背に、黄色がくっきりと輪郭を持って、まるでそこだけ世界から切り離されているようだった。
切り離された、もの。
 周りの背景と合致しない、浮いた存在。それは舞台のスポットライトを、街中で当てられたような違和感。
私の心が世界と嵌合しないのは、私が特異だからか、世界が不偏だからか。
しかしそれでも、銀杏はそこに成立していたのだ。綺麗だと思う程に。
 もう一度車窓から外の絵を見る。電車の窓は、まるで額縁だ。次は別の景色がある。
これは古びた工場だろうか。私はまるで美術館にでもいるような錯覚に陥った。
次々に変わる景色はまるで、ソレのようだ。
だが、眼下を流れる川は先ほどの絵と繋がっている事は間違い無く、これが現実なのだと事実を突き付ける。
くだらないなあ。
私は自嘲の笑みを漏らした。くだらないのは景色や美に関する事ではない。私自身の思考の陳腐さである。
あ、また橋だ。
今度は赤い橋。さっきのはどんな橋だったっけ?やっぱり、言葉として脳裏に記録すべきだった。
だって、私にとってはどんな景色も記憶するに足りない些末なコトなのだから。
私の心は漸く「感じる」ようになってきたのだ。でもそれは、スタートラインに立ったに過ぎない。
私にとって、それはチープから陳腐に変わったに過ぎないのだ。しかしそれがどれほど大きな変革であることか。
外を見る。【誰か】を思い出す。
誰かと見れば、何かが変わるのだろうか。
そういえば友達が言っていたっけ。「どこに行くかじゃなくて、誰と行くかが大事」みたいな事を。
私にとっての誰かっていうのは、十中八九あの人なわけで、逆接的に私にとって彼が大事っていうこと?
あ、住宅地?こんな田舎(?)にも人が密集して住んでるんだ。
そういえば、水の流れが見えなくなった。
私はそこで、外を眺める事にも思案に更ける事にも飽きてしまって、視線を手元に戻す。
読書を再開した私は、やはり現実よりも空想の世界の方が性に合っている気がした。
物語の世界に意識を移す途中、頭の端で考えた。
彼と旅行に行くのも悪く無いかもしれない。
新しい刺激、何かを感じるという事も、悪く無いのかもしれない。

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