ふく
『ふく』

舞台中央にサス。
千「3年も前に別れた彼女のことを、僕は未だに引きずっていた。他の女の子を見ても彼女のことを重ねてしまって、あれ以来ずっと一人身だ。時々、彼女の夢を見る。付き合っていた頃の楽しい思い出、彼女の仕草、笑った顔。全く、未練がましい男だと思う。昨日も友人と飲みに行ってお説教を食らった。「おいおい、いつまで引きずってんだよ。いい加減新しい女作れよ」って。ダメなんだ。彼女の事がどうしても忘れられない。そんな会話をしたもんだから、また彼女の夢を見てしまった。朝起きてベッドの横を見ると、見知らない招き猫が転がっていた。またどこかから拾って来てしまったのだろう。酔った時の悪い癖だ。僕はその招き猫を家に置いておくことにした」
暗転

明転
舞台前中央に福が座っている。頭には猫の耳、腰からは尻尾が生えている。鬼気とした表情で一心不乱に左手で招きまくる。だんだんエスカレートしていき、観客を威嚇したり、狂ったように左手を振りまくる。
そこに千が帰ってくる。
千「ただいまー」
福狂ったように招く。
千「おい、何やってんだよ!」
福「…………」
千「ストップ。ストーップ!」
福「なんだ、千か。どうした?」
千「どうしたじゃないよ。何やってんだよ君は」
福「何と言われてもな。私はただ待ち人を招いているだけだが?」
千「招いているって、そんな顔じゃみんな逃げちゃうよ」
福「そんな顔とはどんな顔だ?」
千「さっきの変な顔だよ」
福「変な顔とは失礼だな。これでも私は一生懸命やっているのだぞ」
変な顔で招く。
千「その顔!その顔!」
福「むむ、うるさいぞ、邪魔をするな。だいたい私は千の為にこうして働いているのだぞ?」
千「それは……ありがとうだけどさあ」
福「だろ?ならば問題ないだろ」
変な顔で招く。
千「待て。逃げる、逃げるから」
福「何が逃げるというのだ?」
千「だから、招こうとしてる人がだよ!」
福「ふん、注文の多い奴だ。それで、今日は会えたのか?」
千「……いや、会えなかったよ。やっぱり仕事帰りの短い時間だけじゃね」
福「そうか」
千「ごめんな、気を遣わせちゃって」
福「何を言っている、約束したではないか。私がお前と彼女を再び巡り合わせるとな。ゴミ捨て場に捨てられていた私を拾ってくれて、こうして家に置いてもらっている恩返しだよ。安いものさ。ただの招き猫に過ぎない私にできることといったらこれくらいだからな」
千「ありがとう、福」
福「ふく……?」
千「ああ、君の名前だよ。いつまでも名前がないと不便だろ?」
福「そうだな。福か、良い名だな。福を呼び寄せる私にぴったりの名前だ」
千「違うんだ。それもあるけど、君にも福が来て欲しい、そう思ってつけたんだ」
福「私に、福?」
千「うん。僕の幸せを願ってくれている君にも、幸せになって欲しいって、そう思って」
福「千……ありがとう、気に入ったよこの名前。ありがたくもらっておく。私は千という名前もすきだぞ」
千「そうかな?僕は昔からこの名前をよくからかわれてきたから。変な名前だって」
福「そうか?私はとても綺麗な名前だと思うけどな、千」
微笑む千。
福「千と彼女を絶対に会わせてやるよ。約束だ」
千「ああ、ありがとう」
福は狂ったように再び招き始める。
苦笑する千。

千にサス。
千「その招き猫は彼女と同じことを言った。僕の名前が、とても綺麗だと。僕も彼女が口にする『せん』という響きがとても好きだった。ちょっとしたすれ違いから別れてしまった僕ら。けじめをつける為にお互いに携帯から連絡先を消した。それでも覚えている彼女の番号。別れてからのこの三年間も、ずっと彼女のことを想い続けてきた。何度も電話をかけようと思ったけど、勇気がなくてやめた。それでもやっぱり会いたくて、話をしたくて、僕は電話をした」
電話を耳に当てる動き。
千「でも、繋がらなかった。電話番号を変えたのだろう。僕と彼女の接点は完全に絶たれた。別れたあの日以来、僕は彼女がどこで何をしているのかも知らない。何度も忘れようとした。でも、できなかった。僕にとって彼女の存在は、それほどまでに大きかった。僕は、もう一度彼女に会って、自分の気持ちに区切りをつけたいと思った。もう一度告白して、振られても構わない。ただ僕は、もう一度彼女に会わないと前へは進めないような気がしていた。だから僕は、拾ってきた招き猫にお願いをした。もう一度、彼女に会わせて欲しいと。お安い御用だと自信気に笑ったそいつに、僕は「福」という名前をつけた。福が家に来てから、彼女の夢をあまり見なくなっていた」

全照。
福が左手首に氷のうを当てている。
そこに千が帰ってくる。
千「ただいまー。福、どうしたんだよ!」
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