君の右手
 夏の昼下がり。
 無人駅のプラットフォームに男が一人、ベンチに座っている。
 やかましい蝉の声が周囲に響いている。
 しばらくすると、女が一人、男の元にやってくる。
 女、嬉しそうに男の隣に座る。

女「お待たせー」
男「おせーよ」
女「うっさいな、女には準備が必要なのよ」
男「いまさら準備なんていらないだろ。さっさと来いよ」
女「うわ、器ちっちゃ。おちょこかよ。そんなんじゃ女子にモテないぞ」
男「いいよモテなくても」
女「モテろよ」
男「モテろよってなんだよ。どうすりゃいいんだよ」
女「とりあえずこう、清潔感のある服をだね」
男「もうさ、そういうのはいいんだよ」

 女、嬉しそうに足をぶらぶらしている。

女「何でここなのよ」
男「分かってるくせに」
女「分かんない。何で、何で何で、ねえ何で?」
男「うるさいな」
女「さっさと吐けって」
男「……ここでプロポーズしたからだろ」
女「……わーお」

 男、そっぽを向く。

女「ねえ、あれってさ、狙ってたの?」
男「狙ってるわけないだろ、勢いだよ」
女「じゃあ何で指輪を持ってたのよ」
男「たまたまだよ」
女「たまたま持ってた指輪でプロポーズしたの?」
男「たまたまだよ」
女「ええ?」

 女、ベンチから立って演技を始める。

女「こう、列車に乗ろうとしてる私の腕をグイッと引っ張って、そのままスッと指輪をはめるあの一連のスムーズな動き! あれも全部その場の勢いだったの?」
男「そうだよ」
女「嘘つけ。絶対練習した。練習の成果が出てた」
男「そんな恥ずかしい練習するわけないだろ」
女「練習は嘘つかない!」
男「お前、この……指輪をこう、アレするこの動き(軽くやって見せる)の何を知ってるんだよ!」
女「惜しむらくは右手だったんだよねー。ああ、惜しい! はぁー惜しかった!」
男「悪かったな」
女「私、泣きながら左手にはめ直したから」
男「もうどうだっていいだろ、今となっちゃ」
女「そこまでは最高に決まってたからさあ」
男「……決まってた?」
女「こっちの未来もバシっと決まるくらいにね」

 男、黙る。

女「バッカ、悪い意味じゃないよ」
男「あのさ」
女「ウチ、あんまりいい家庭環境じゃなかったからさ。ほら、母子家庭で、母親は夜の仕事やってるし、学校も成績はどんどん悪くなるし、悪い仲間に酒とたばこを教えられて」
男「それはお前の問題だぞ」
女「家庭環境よ」
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