インデペンデンス・井出 (15分)
    暗闇の中、椅子に座った井出がPCの画面を見詰めている。
    モニターの明かりが井出を不気味に浮かび上がらせる。

    間。

井出 切っ掛けはなんだったのだろう。そもそも切っ掛けというのは何を指すのだろう
   か。事の始まりか? それとも変化が生まれた正にその瞬間を示す言葉か? 意
   味や理由を探して言葉で説明付けて納得するのは、人間が知能の高い生物である
   が故。面倒だ。どうして生きているのかなんて突き詰めたら宗教にでも辿り着い
   てしまう。俺は信心深くない。そう、信じるからだ。勝手な期待をするからいけ
   ない。期待外れとか裏切りとか、他人に心を許そうとした自分が悪いんだ。分か
   ってる。そんなの分かってたんだ。だから、俺はこうやって一人でいるのを選ん
   だ。…違う。選んでなんかいない。

    井出、立ち上がって部屋の扉を見る。

井出 ここから出られなくなった。ただそれだけだ。

    井出、部屋の中を徘徊する。

井出 悟ったなんて格好の良い話じゃない。達観かもしれない。とにかく気が付いたん
   だ。いつも通りに自分の席に座って5時間目の授業を受けていた。教科が何だっ
   たのかは覚えていない。5時間目だったのは覚えている。何故、学校に来なけれ
   ばならないのか。毎日思っていた。授業に飽きたからではない。朝に家の玄関を
   出ればそのまま振り向いて戻ってしまいたかったし、何なら前の晩から憂鬱だっ
   た。起きれば学校に行かなければならない。朝になっても目が覚めなければいい
   のにと願っていた。それでも朝は来てしまったし、例え休日で学校に行かずに済
   んでも永久には続かない。

    井出、窓を見る。

井出 その日は窓際の席で校庭を眺めている内に外に行きたくなった。それまでなら授
   業中だから外に行ってはいけないという気持ちのほうが強かったし、我慢してい
   た。あるべき当然の自制心だったのだろう。しかしその日は違った。困難の先に
   ある自由を見付けた確信を得た。ドキドキしていた。背徳感ではなく、興奮だ。
   俺は立ち上がって歩き始めた。近くの席にいたクラスメイトがこちらを見た。先
   生に『トイレに行くの?』と聞かれて、俺は声を出さないまま小さく頷いた。他
   の教室の前を通り過ぎて、人の声が聞こえなくなった。ドキドキは強くなる。階
   段を降りる。抑え切れなくなりそうな衝動に息が詰まりそうになる。誰かに呼び
   止められないか、振り向かないまま背中で気配を察しながら昇降口で靴を履く。
   その後は、これまでの人生で感じた事のない喜びが俺の歩みを加速させた。体温
   が上がっていた。呼吸が荒くなっていた。自分では見えないけれど、きっと笑顔
   になっていた。

    井出、椅子に戻る。

井出 母子家庭だから母親は仕事に出ていた。誰もいない家でテレビを見た。普段は見
   ないワイドショーやニュースも見た。俺が学校を抜け出したのが事件になってい
   たら流れるかもしれないと思ったが、そんなはずがないのも分かっていた。それ
   でも気になった。しばらくして、電話が鳴った。鳴り終わるのを待つまでの時間
   は、ひたすらに長く感じられた。母親は仕事を早退して夕方に帰ってきた。学校
   から連絡を受けたらしい。『明日はどうするの?』と聞かれて俺は黙った。答え
   は決まっているが、怒られるのを予感していた。次いで『いじめにでも遭ってる
   の?』と聞かれて、首を横に振った。母親の視線を感じながら、俯いたままで俺
   は「あそこには居場所がない」と言った。それを自分で口にして、ようやく腑に
   落ちた。居場所だと思えていないから、いたくなかったんだ。母親は何も言い返
   さなかった。

    井出、マウスをダブルクリックする。

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