【朗読劇】雨音の世界
     1

 明転
 女、下手側にあるイスに座っている

(女性)
 昔から傘が大嫌いだった。
 強い風で飛ばされそうな傘を必死に守っていると、何故だか、傘以外のものが飛ばされそうな気がしてしまう。それは、私の弱い心かも知れないし、僅かながらに築き上げた世界かも知れない。いずれにせよ、何かが奪われる感覚が恐かった。
 例え、凍てつくような春時雨が降ろうが、貫くほどの篠突く雨が降ろうが、私は傘を差す事なんて滅多にない。
 顔にかかる雨を拭い、乱れた髪を整えていると、汚い水飛沫をあげなから走る車や、傘を差して歩いている人とすれ違う。その誰もがみすぼらしい今の私を一瞥して、まるで可哀想とでも言わんばかりの顔をする。
 でも、それでいい。それがいい。ズブ濡れで可哀想? 勝手に勘違いしとけばいいじゃない。私はそれでも前へ進む。あなた達の想像を遥かに超えるような、そんな未来に行こうと、私は決意しようとしている。
 だって私は――、

 暗転

     2

 明転
 男、上手側にあるイスに座っている

(女性)
『すみっこ』と呼ばれる部屋ある。
 中学校の中に併設されている部屋で、人間関係の欠損した生徒や学校より自宅にいる時間の方が長い生徒、つまり、ひきこもりと呼ばれる生徒が集まる場所で、クラスに復帰する為の下準備、心の安定、コミュニケーション能力の向上を目的とする特別支援学級。二階のすみっこにある部屋だから『すみっこ』。それがいつしか、そこに登校している生徒の事を『すみっこ』と呼ぶようになっていた。
 私が『すみっこ』に通うようになったのは、一年の五月だった。
 見学だけでもと担任に連れられて入った『すみっこ』は、とても自由な気がした。広さは教室と同じくらいだけど、教室にあるような机や椅子は一切なく、代わりにソファーと丸テーブルがあり、本棚には啓発本が沢山あった。
 人数は四人だけで、真面目に勉強する人、携帯ゲームに没頭する人、昼間から熟睡する人がいる中、明らかに異質で、あからさまに私へ興味を示している男の子がいた。そして、

(男性)
「よろしく」

 暗転

     3

 明転

(女性)
「私は学校に行けなくなったんじゃないの。行かなくなっただけ」

(男性)
「どうして?」

(女性)
「だって、学校に行く意味も解らないし、授業内容が将来に役立つなんて到底思えないし、クラスメイトは精神年齢の低いガキばかりだし。それに……」

(男性)
「それに?」

(女性)
「みんなグループで固まって、登校する時も休み時間も下校する時もずっと一緒なの。それがなんか、羨ましいというか、煩わしいというか……なんて」

(男性)
「そっか」

(女性)
 そうだよ。と、心の中で意味もなく呟いてみる。
 あなたは他の人が無関心を決め込む中、何かと私と関わって、とやかく私に構ってきた。正直、ちょっと面倒くさい。それでも、何もかも初めてな状況で、誰かと話をしているというのは少し安心する。一人でただただ毎日を過ごしていると現実味が薄くなり、そのまま世界に融けてしまいそうになるのが怖かった。
 そうして幾度か話を重ねていく内に、私はあなたの事を深く知っていった。あなたには五歳上の姉がいる事。トマトが嫌いな事。何度も見る夢の事。初恋の事。それはもう沢山の話を交わしたはずなのに、あなた君が『すみっこ』へ逃げ込むようになった根源は、一度も語られなかった。向こうから話さないのだから、無理に聞く事はしない。その代わり、私が此処に来た理由も喋らなかった。
『すみっこ』での生活はそれなりに有意義だった。自分のペースで勉強し、自分のやりたい事を好きな時間に好きな分だけやれるので、私のような優柔不断には、これ程までにない自由な空間だった。
 気が付けば私は『すみっこ』の誰よりもあなたの事を知っていたし、『すみっこ』の誰よりもあなたの事を知りたいと思っていた。真面目に勉強する人より、携帯ゲームに没頭する人より、昼間から熟睡する人より、誰よりも。けど、でもそれは、誰もが誰もに興味なんてなかったし、私があなたの事情を知っているからと言って、優越感に浸れるものではないはずなのに、何故か私は、あなたを知れば知る程に、心地良くなっていった。
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