あの日から。そして今日から

〜十年目の春〜

(あのひから。そしてきょうから)
初演日:0/0 作者:湖社 シンジ
「あの日から。そして今日から 〜十年目の春〜」

<登場人物>
紺野美晴(姉・高校卒業後に就職して四年目)
紺野俊平(弟・高校三年)
伊達(町会長)
遠藤(美晴の会社の同僚)
会沢結花(俊平の恋人)

※劇中「姉弟」とあるのは、「きょうだい」と読んでください。


1. 姉弟の家

   (小さなアパートの居間。小さな茶だんすやテレビ、本棚など)
   (一画に簡素な仏壇。遺影はない。)
   (中央にちゃぶ台)

   (姉弟の家以外の場面では、暗転にして照明等で対応のこと)

   (俊平が料理を持って奥から出てきて、ちゃぶ台に並べはじめる。)
   (俊平の携帯が鳴る。ディスプレイで発信者を確認し、複雑な表情)
   (出ようかどうしようか、しばらく迷うが、結局出ずに切る。)
   (再び料理を並べ始める。すぐにまた携帯が鳴る。)
   (俊平、発信者を確かめ、今度はすぐに切る。)

   (美晴が勤め先から帰ってくる。)

美晴 「ただいまー」
俊平 「おかえりなさい」
美晴 「(靴を脱いで上がりながら)お、今日は何かなー」
俊平 「(料理の名称を言う)」
美晴 「へえ、随分手をかけたんだー」

   (美晴、仏壇に手を合わせ『お父さん、お母さん、ただいま』)

美晴 「でも、こうやって食事の支度をしてくれるのはいいんだけど、ちゃん
   と勉強もしてる?」
俊平 「何で?」
美晴 「何でって、三年生になったのよ。もう受験生なんだから」
俊平 「まあ、……それなりにやってるよ」
美晴 「それなりって……、ねえ、志望校は? どういう学部に進みたいの?
   私思うんだけど――」
俊平 「そんな話はあとでいいじゃない。それより、食べようよ」
美晴 「……。確かに、お腹ペコペコだしね」
俊平 「着替えなくていいの?」
美晴 「かまうもんですか。もう我慢できないわ」
俊平 「それは社会人としてどうなの」
美晴 「え?」
俊平 「俺が学校から帰って制服のままおやつ食ってたら、姉ちゃん怒った
   じゃない」
美晴 「そうだっけ」
俊平 「そうだよ」
美晴 「わかった。じゃ、着替えてくるから、ちょっと待っててね」
俊平 「ああ」

   (美晴、立ち上がって奥へ)
   (町会長の伊達が来る)

伊達 「こんばんわー」
俊平 「はい、(玄関を開け)あ、町会長さん。こんばんは」
伊達 「こんばんは。あれ、これから晩御飯? ごめんね変な時に来ちゃって」
俊平 「いえ、かまいませんよ」
伊達 「美晴さんは、もうお帰り?」
俊平 「ええ、姉はさっき帰ってきて、いま着替えているところです。
  (奥へ)姉ちゃーん。町会長の伊達さんが来られてるよ」
美晴の声 「ごめーん、少し待っていただいて」
伊達 「(奥に向かって)いいのよ。回覧板持ってきただけだから。俊平君に
   渡しとくね。(俊平に)それじゃあ、これ(回覧板を渡す)」
俊平 「はい、すいません」
伊達 「そういえば俊平君、確か三年生になるんじゃなかった?」
俊平 「ええ、この春から三年です」
伊達 「じゃあ受験生だ」
俊平 「まあ、そういうことになりますかね」
伊達 「なりますかねって……、どうするの、どこを受験するかとか決めたの」
俊平 「まあ、それはこれから……」
伊達 「私思うんだけど、やっぱり俊平君のような男は、東京へ行かないとね」
俊平 「東京ですか」
伊達 「そうよ。もちろんこっちも悪くはないんだけど、若いうちに一度は東
   京とか大都会の暮らしを経験しておいた方がいいんじゃない」
俊平 「うーん、そうですねえ……」
伊達 「美晴さん前に言ってたよ。学校の成績、かなりいい方なんだって?」
俊平 「いえ、そんなことは」
伊達 「若いくせに謙遜なんかしなさんな。美晴さんが言うんだから間違いな
   いでんしょ」
俊平 「姉は、そんなに俺のこと、話してるんですか」
伊達 「ええ色々と話してくれてるわよ。なんせ自慢の弟さんだもの」
俊平 「はあ…、でも東京はいいですね」
伊達 「そうよ。……ああ、でもそうなると、美晴さんがまたたいへんかも知
   れないわねえ。学費のこととか、下宿代のこととか」
俊平 「姉にはもうこれ以上頼らないつもりです」
伊達 「まあ奨学金の制度も色々あるだろうし」
俊平 「いや、そういう意味では――」

   (美晴、奥から登場)

美晴 「すみません、お待たせしてしまって。あら、上がっていただいてなか
   ったんですか」
伊達 「ああいいのよ。回覧板持ってきただけなのに、つい俊平君と話し込ん
   でしまって。それにこれから晩御飯なんでしょう」
美晴 「いえ、でも、よろしければ(仏壇を指し)両親に」
伊達 「そうね、それだけはさせていただこうかしら」
美晴 「どうぞ」

   (伊達、上がり込み仏壇に手を合わせる。その間に美晴はお茶を入れる)

伊達 「(仏壇に)美晴さんと俊平君は、しっかりと生きていますよ。どうぞ
   ご安心ください」
美晴 「(お茶を差し出し)いつも、ありがとうございます」
伊達 「こうして手を合わさせていただいていると、ご両親とは随分長い付き
   合いのような気がしてくるから不思議ねえ。一度も会ったことないし、
   顔も知らないけど」
美晴 「遺影にする写真もありませんから……、何もかも流されてしまって」
伊達 「十年前のあの日、海は数え切れないほどの命を連れ去っていったけど、
   それだけじゃあなかった」
美晴 「ええ、その人の生きた証しまで」
伊達 「俊平君、ご両親のお顔、ちゃんと見えるようになった?」
俊平 「ええ、今までおぼろげだったのが、最近なんだか段々とはっきりとし
   てきたような気がします」
伊達 「そう、私の言ったとおりでしょう。毎日寝る前に必ずご両親の顔を思
   い浮かべ、お休みなさいを言うの。それを続けていれば必ず俊平君の心
   にご両親の魂が宿って、その顔がはっきり見えるようになってくるって」
俊平 「そうですね」
伊達 「そういえば、今も俊平君と話してたんだけど、俊平君、いよいよ受験
   なのねえ」
美晴 「そうなんです」
伊達 「俊平君、東京へ行きたいんだって」
美晴 「本当なの」
俊平 「いや、そうと決めたわけじゃあ――」
美晴 「私には何も話してくれないじゃないのー」
俊平 「だから、まだ何も決めてないって」
伊達 「ふふふ……、仲のいい姉弟だねえ」
美晴 「いえ、どうも」
伊達 「(悪気なく)俊平君、頑張って早くお姉さんを自由にしてあげないと
   ね」
俊平 「自由に……」
美晴 「いえ、私は十分自由にさせてもらってますよ」
伊達 「でもたいへんだったでしょう、俊平君をここまで」
美晴 「いえ、別にこの十年間ずっと私一人で面倒見ていたわけではありませ
   ん。だいたい十年前は私だってまだ小学生だったんですから」
伊達 「そうだったわね。確かおじさんの家で暮らしていたとか」
美晴 「はい、私が高校を卒業するまで叔父の世話になっていました」
俊平 「叔父さんは姉ちゃんに大学への進学を勧めたんだけど、姉ちゃんはそ
   れを断って、俺を連れて叔父さんちを飛び出したんです」
伊達 「そうだったわねえ。やっぱり色々とたいへんだったんだ。だから俊平
   君、早くお姉さんを楽にしてあげないと」
俊平 「はい」
美晴 「私は楽しんでやってますよ」
伊達 「(立ち上がり)はいはい、ごめんなさい、晩御飯前だというのに長居
   してしまって。困ったことがあったら、遠慮なく何でも言ってきてね。
  (出て行く)」
美晴 「はい、ありがとうございます」

   (美晴と俊平、顔を見合わせ)

美晴 「東京なんて、一度も聞いたことなかったわよ」
俊平 「俺も今初めて言ったんだよ。町会長さんの口にうまく乗せられて」
美晴 「ねえ、ほんとのところ、どう考えてるの」
俊平 「(料理の皿を手に取り)あーあ、すっかり冷めちゃったな」
美晴 「大丈夫、そういうのは冷めてもおいしいよ」
俊平 「うん、食べようか」
美晴 「そうね」

   (二人、それぞれの場所に座る)

二人 「いただきまーす」
美晴 「(一口食べて)おいしいー! 腕あげたねえ」
俊平 「どう、たいしたもんだろ。もう料理の腕は姉ちゃんよりも断然上だな」
美晴 「生意気なー。じゃあ今度の休みの日は、私が腕を振るって晩御飯作っ
   てやるわ。今生意気言ったその口を、私の味覚でとろかしてやる」
俊平 「姉ちゃん」
美晴 「うん?」
俊平 「弟の俺なんかよりも、誰か他に料理を作ってあげる男はいないの?」
美晴 「グフッ、な、何を言うのよ。……そんな人、いるわけないじゃない」
俊平 「そう。姉ちゃんならもてると思うんだけど」
美晴 「バカ言ってんじゃないの。だいたいそんなことより、私はまず俊平
   を……」
俊平 「俺?」
美晴 「そうよ。まずは俊平をちゃんと大学に進学させて」
俊平 「俺がいるから、姉ちゃんは男とも付き合えないってこと?」
美晴 「そんなこと言ってないでしょう!」
俊平 「うん、そうか......」
美晴 「どうしたって言うのよ、急に」

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