セパレート岬
9月 月見

 ギターを肩からかけ、弔辞の原稿を片手に現れる切羽拓郎(せぱたくろう)。
 原稿を広げ、読み始める。

塚田君のご霊前に謹んでお別れの言葉を申し上げます。
君との付き合いは大学時代から―――――――

 話の途中で突然言葉を止める。
 そうして、手に持っていた原稿を破り捨てる。

どうか落ち着いてください。安心してください。
ここに書かれていたのは、心ない、体のいい文句ばかりです。
友と話すのに、メモ書きは必要ですか?
私たちの最後を、そんな、嘘で塗り固めた言葉で締めたくなかったのです。いや、締めたくなくなったのです。申し訳ありません。

もう一つ、弔辞でありながら、ギターを持ち込んだことお詫び申し上げます。
こんな年齢ですが、自身、ミュージシャンであることに誇りを持っています。
もちろん、ここにいる皆様は私、切羽拓郎のことなど知りもしないと思いますが・・・。
つまるところ、侍が刀を、兵隊が機関銃を肌身離さず持っている、それと同じように考えていただければと思います。
言わずとも、君なら分かってくれるでしょうか。
ここにいる皆様においても、不快な思いをさせてしまうかと思いますが、ご容赦ください。

 参列者に向かって一礼。

君との付き合いは、大学からでしたね。
少しばかりギターをかじっていた私と、詞・曲を書く吉見。
そして、やりたいことを模索していた君とで音楽を始めました。
音楽においても、身の振り方についても素人だった我々は、試行錯誤を重ねて様々な繋がりを得て、少しずつ、ほんの少しずつ前に進みました。
その錯誤が、成功が、失敗が、今となってはどれも輝かしく感じます。
しかし時の流れは無情なもので、半ば強制的に幾つもの選択肢の前に立たされました。
学生から社会人へ、そこで初めて、何となく始めた音楽がいつからか心の大部分を占めていたことに気づかされたのです。
しかし、流されるように、一旦は音楽を棄て、それぞれに職を持つことにしました。
いつかまた3人で、そんな約束を胸に、社会へと舟を出したのです。

大手企業の重役にまでなった君から「羨ましい」と言われた日々を、思い起こす度に誇らしく思います。
しかし、私はそんなに偉くも、立派でもないのです。
50を過ぎてただ漠然と何かを追い始めた自称ミュージシャンは、世間の笑い者なのです。
あくまで夢の通過点であったはずの職に追われ、夢は薄れ意思は段々と弱まりました。

再始動のきっかけはどうということもありません。
駅のホームから、ものすごい速さで通り過ぎる回送電車を見つめ、考えてみたのです。
あの回送電車のようなスピードで人生が進んでいるとすれば、夢はどうなのだろう。
あの約束から一歩たりとも進んでいない。やりたいことって何だろう、やれる時間はどれだけあるのだろう。
そう思うと、急に内側がむず痒くなってきて、焦りとか後悔をすっ飛ばして、ただ走っていました。

50過ぎて脱サラし、ようやく約束を果たそうと進み始めた私の話を、君は笑わずに聞いてくれた。
日々に埋もれ、何十年と会ってこなかった男が、定年間近にふらりとバンドを組もうとやってきても迷惑でしかなかったろう。
「築いてきた立場や家庭もあるし」と、残念ながらまた学生時代のように、とはならなかった。
それでも、笑って誤魔化したりなどせずに背中を押してくれた、ただそれだけで嬉しかったんだ。
その時は、そのくらいにしか考えていなかった。

今夜は月が綺麗です。中秋の名月と呼ぶのだそうです。
一年ほど前、入院することになった君は、今日と同じようにまん丸な月を見つめ言いました。
「月は太陽の光を受けて初めて輝いている。単体では暗く、冷たいもので。切羽拓郎から光を受けて、僕は初めて輝けたのだろうなあ」

 自身の中でその頃のことを回想する。

俺は太陽になんかなれねえよ。
日に日に衰弱していくお前に、何にもしてやれねえんだ。
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